マカロニ。

おたく魂をぐつぐつ煮込んで

かながわ短編演劇アワード2022 〜公開審査会を見て〜

かながわ短編演劇アワード2022、2日目の演劇コンペ&公開審査会を観てきました。

グランプリのMWnoズ、観客賞のエリア51、おめでとうございます!!!

また、かまどキッチン・じゃぷナー観という初めましてのカンパニーの作品を観れたこと、エンニュイさんを知れたことを嬉しく思います。コロナ禍での開催に尽力してくださった皆様に感謝します。

 

…以下は現場で公開審査会をみて、いち観客として感じたことです。

結果についてではなく、結果に至るまでのプロセスについての話であるということを念頭に読んでいただけますと幸甚です。

 

 

採点基準のあいまいさ

演劇という主観や感性に頼る定性的なものを定量的に測って「いちばん」を決める作業は非常にむずかしく、審査員みなさん胃がねじ切れるような思いだったと存じます。

だからこそ、あらかじめコンクールのゴール、「いちばん」の定義を主催側は明確にしておくべきだったのではないでしょうか。岡田さんに判断基準を問われ、主催として「将来性ある団体を送り出したい」という意図が示されたのは後半戦に入ってから。その「将来性」というのも、各カンパニーの持つパッケージでののびしろを指すのか、それとも演劇のあたらしい形の可能性のことを指すのかが明示されず、審査員の中でも統一されることなく両極にふれていました。定義が明確でないが故に、迷ったりコメントの焦点をどこにあてるかがブレる。挙句の果てに、最終投票時にかまどキッチン2、MWnoズ2と票が割れた時点でエリア51に投票しようとしていた岡田さんに対し、揖屋さんが

「(時間がないので)決めていただけると助かります」

と促すのは非常に傲慢だと感じました。時間が有限なのはわかります。だからこそ効率的に、有意義な議論を1秒でも長くするために、主催は採点基準について事前にもっと練るべきだったと思います。

 

また、審査の中で加点方式と減点方式が混在していたのも気になりました。

特にかまどキッチンとエリア51に対しては減点方式が強く作用していて、期待の表れと言えば聞こえはいいですが、それならば全てに対し方式を統一すべきです。これも明確な採点基準がなかった故の事だと考えます。

 

「社会的な作品」とは

エリア51の作品「ハウス」はシングルマザーと障がいを持つ子に焦点をあてた作品でした。それゆえか「社会的な作品」という形容が多く見受けられました。でもそれを言うなら反戦や社会からの孤立を訴えるじゃぷナー観の「エン EN」だって、コロナ禍で生活と創作意欲と演劇に葛藤するかまどキッチンの「あ、たたかい(の)日々」だって社会的な作品のはずですが、その2団体へは一切言及がありませんでした。なぜエリア51にのみこの言葉が向けられたのでしょうか。

 

笠松さんがコメントの中で、

「社会的な訴えをしたいのであればもう演劇ではなく社会運動としてやったらどうか」

という旨の発言がありました。

なぜ、社会的なテーマを演劇でやってはいけないのでしょうか。共鳴するものを見つけて、創作意欲がわいて、それを作品に落とし込んで、発信して、観客へ提示する。それは社会的、とされるものではないテーマを作品にする過程と同じではないでしょうか。社会のなかで、生活のなかでみつけたものを自分というフィルターを通して、演劇というツールに落とし込む。なぜ社会的、…この「社会的」というカテゴリもハテナですが、このような題材について演劇を通すことを否定されてしまうのでしょう。基本的に私は「なるほど、あなたはそういう考えなのですね」と他者の意見を受け止めるようにはしているつもりなのですが、今回の、この演劇コンクールという場で、審査員という立場で、その発言は、言っちゃあならんでしょう。創作意欲の根本をへし折るこの発言については、はっきり「それは違う」と主張させていただきます。

 

また岩渕さんが後半で

「社会的課題がたくさんある中から、ピックアップしてしまう形になるとすると、どこまで自分たちの中で消化してくか?というの聞きたいんですけど、でも(討論会ではないので)聞けないんですけど、そこがまだ若い人たちだと思うので…」

エリア51に対し気になることとして発言されました。それに対し岡田さんが一般論で言いますけど、と前置いて

「様々な問題が自分の前に等しく等価に置かれてて、えーっとじゃあ今回はこれ、なんてピックアップして扱ってる作り手なんていないですよ」

とピシャリと返してくださったこと(&前述の笠松さんコメントのあとの「社会運動のほうでやれという意見は気にしなくていい」というコメントも)は救いになったと思います。岩渕さんは編集者という選ぶ/編纂する立場の方なので、作り手との視点の違いゆえにかの発言に至ったと思うのですが、参加団体との質疑応答の形をとっていない審査会で、あの流れは酷だと感じました。

 

芸術を評するのは難しい。

私も感想という笠を着てふだん好き勝手なことを書いていますが、何かの機会で評することがあったら、気を付けていかねばならないと強く思いました。

 

さいごに

繰り返しになりますが、芸術を採点するのはとても難しい。だから今回のような採点基準の議論は、悲しいかな「あるある」のひとつです。

 

以前、知人が出品した別の界隈のコンクールでも、同じような曖昧基準・スポンサーの意向により筋がのみ込めない審査プロセスとなってしまいました。

結果、知人は以降の創作意欲のベクトルが大きく変わってしまいました。あなたの作品はここが素晴らしくて、ここが良かったよと私なりに声かけをしましたが、いち観客である私はただただ無力で、創作が死んでいく過程を見ているしかできませんでした。

 

今回、この記事を書くか迷いました。

今回も、私は無力な観客です。

でも、書き残しておこうと思いました。

 

 

必ずカンパニーの名前を呼び「お疲れさまでした」と声をかけてからコメントに入る徳永さん。カンパニーと作品へのリスペクトを感じ、私も普段のふるまいを正そうと思いました。

「これで、絶対にやり続けなければいけなくなりましたね、がんばってください!」と、呪いの仕上げで発破をかけ、「経験談ですが、悔しい思いの方が100万円よりも価値があると思っている」と参加団体にリボンをかけたスズキさん。軽やかな論評が素敵でした。

 

あらためて!

グランプリのMWnoズ、観客賞のエリア51、おめでとうございます!

かまどキッチン、じゃぷナー観、エンニュイとの出会いを嬉しく思います。

どうかこれからも、創作の芽吹きが絶えませんように。

皆さんの作品をまた拝めますように。

本当に、楽しい2日間をありがとうございました!!