マカロニ。

おたく魂をぐつぐつ煮込んで

買ってよかった2023

物置をめっちゃ整理した。いっぱい捨てたり売ったり。

そんな思い切った断捨離をした日にこれを書くのもあれだけど、今年買ってよかったものを書いていくぜ!!

 

サンバリア100

uv100.jp

持ち歩ける木陰というのは本当だった。

普通の日傘とは影の濃さが違う!日光による熱も防げるし、個人的にいちばん良かったのは眩しさがかなり軽減され眼球へのダメージがかなり減ったこと…顔面が滝になるのでサングラスかけたくない私にとって、これはかなり嬉しい。熱と光がシャットアウトされるおかげで身体へのダメージってこんなに減るんだ〜もっと早く買えば良かった!!

いろんなサイズがあるけど二段折りを選択。街中で使うならこのサイズが限界(これ以上大きいと街歩きでは迷惑になりそう)。

普段は折りたたまず長傘に近いサイズで使い、収納したい時(飛行機に乗るときとか)は畳む。畳んでもそれなりに大きいのでほぼたたむことはなかったな。ちなみにフリルデザインのはめちゃ可愛いですが、「畳んだときのサイズが白菜」とのことでした。白菜…

男性でも持ち歩ける色やデザインもあるので、命をまもるためにも皆で日傘をさそう!!

 

Wpc Back Protect

www.wpc-store.com

また傘ですが、こっちは雨傘。一応晴雨兼用ではあるけど日光はサンバリアに任せる。

劇場やライブ会場で床に傘を横にして置きたくないし、かといって立てておいたら邪魔になるしできれば折りたたみで行きたい。でも小さい傘で歩いてバッグが濡れたり服が濡れたりするのは嫌…なので、「長傘に匹敵する大きさと機能性」を探してたどり着いたのがこれ。

広げると長傘と変わらない大きさ。なので折り畳み傘だけど畳んでも500mlペットボトルくらいの大きさはあります。でもこれを持ち歩くときはどうせオタク御用達デカバッグ持ってるのでそこは問題なし。カバーもしっかり素材なので、折りたたみ傘カバーによくある濡れたもの入れるとじわぁ…って染み出してくるあれも無い。巻いた後に止める帯が太めなので、会場入りしてバタバタしてる時に適当に巻いてもきれいに巻ける、神。

特筆すべきは「伸びる」ところ。傘を広げると一部がにゅっと伸びるというか拡張されて、ちょっと楕円になる。トトロの葉っぱの傘みたいな形。これのおかげで

・リュックまでカバーできるから荷物びしょ濡れ回避

・会場までの道で混み合ってる時、友達と相合い傘しても余裕の大きさ

・足元にふり込む雨が減るので、すそと靴があんまり濡れない

などのメリットが。実際に雨風つよめの日に横アリ公演に持っていきましたが、荷物もロングワンピースも濡れダメージなし、会場内でもバッグに入れられて超快適。これで今後、ライブや観劇が雨になっちゃっても気落ちしなくなりそうで良い買い物したぜ!!って感じ。

 

フィンガースーツ

fingersuit-jp.com

一昨年くらいから指先の慢性皮膚炎が発症して、ネイルが出来なくなった。

ライブの時くらいはおしゃれしたいけどオーダーネイルチップはデザインも流行りがあるからな、無くしたらダメージでかいし、オホーラとかの硬化させるやつは落とす時皮膚炎で激痛走りそう…とあれこれ探しでていきついたやつ。

柔らかめのネイルチップなので使い捨てだけど、安くて枚数多いからじゅうぶん!サイズ選定を事前にやっておけば5分で手元が完成するのでものぐさにも向いてる。ふだんできない長さと色に挑戦できて良いね。

ノーマルのタイプでも剥がれにくいけど、横アリのときはテンションかけがちな人差し指だけとれちゃったので今度はグルータイプも試してみようかな。

デザインもどんどん新しいのが出るので良き。K-POPアイドルも使ってる*1みたいなので、K-POPに推しがいる人はお揃いの爪にするのもいいのでは。

 

セラミエイド

maison.kose.co.jp

花粉の季節に鼻をかみすぎてボロボロになった鼻下を救ったクリーム。春は鼻をかむ→これを塗るのループだった…おかげで例年にくらべて鼻まわりの荒れは少なかった。

薬用保湿クリームなので、鼻の下以外のスキンケアにももちろん使える。基材がワセリンなのでべっとり感はあるものの、「塗った美容液を一滴たりとも蒸散させぬ!!!」的な鉄壁の守り。レチノール塗ったあとのクリームとしてよく使う。ポンプの乳液タイプもある。そっちのほうがなめらかで使い勝手は良い。

 

ロルバーンダイアリー(L)

shop.delfonics.com

以前から使ってたけど、後ろのビニールポケットが写真が2枚ならべて入れられるサイズなことに気づいた!あまり写真を買わないし飾らないけど、たまーーーーに1,2枚欲しい時がある。そういう時にここに入れれば良いんだ!という発見でした。ほかにもフィロのスと撮ったチェキやら、マツケンサンバカフェのコースターやら、思い出の品をポケットにぽいぽい入れています。その年のイベントの思い出がそこに集まる感じ。

手帳部分も書きやすく、メモ部分もたっぷりあるので日記にしてもよし、舞台の感想をかいてもよし。

2024年はこのレッサーパンダにした!かわいい!

 

Masmix(サンドベージュ×ブラック)

masmix.jp

顔が大きいので、CICIBELAだとちょっとキツい…MasmixはCICIBELAより一回り大きいのでちょうどいい。ただ売っているところがすくないんだよね…なのでネットショップの在庫を買い漁っている、、サンドベージュ×ブラックはどんな髪色・服にも合うので重宝している。

 

ELECOM キーボード

www.elecom.co.jp

デスクをすっきりさせたくて買ったBluetooth接続のキーボード。

軽い打ちごこちなので、もともと早かったタイピング速度がモンスター級の速さになった。手元に力入れなくて良くなったからか肩こりが若干*2改善。

特殊仕様でザブザブ水洗いできるので、埃を掃除するのも楽。うっかりきな粉餅をぶちまけてしまっても安心だね(きな粉餅食いながら仕事をするな)

 

三浦大知の中敷き

shop.newbalance.jp

「これを入れれば革靴でも踊れる」と三浦大知が大絶賛している、三浦大知の中敷きことニューバランスの中敷き。別にふわふわ柔らか、って訳じゃないので「そんな違う?」と半信半疑だったけど本当に違う!そこそこヒールのあるブーツに入れて横アリで2公演飛び跳ねてたけど全然疲れないー!!今後すべての靴にこの中敷きを入れたい。学生時代に痛え痛ぇと泣きながら履いてたドクターマーチンもこれなら履けるんじゃない??ただ私は足が小さくて切り落とす部分がかなり多いのでちょっとコスパは良くなく感じる…でも快適なのは間違いない!

 

COSRX プロポリストナー&クリーム

www.qoo10.jp

メガ割であれこれ試してみたけどやっぱりこれに戻る!

とりあえずこれを浴びておけば肌治安は守られる。肌荒れしててもしみない、刺激なし、保湿抜群、べたつかない!これを使い始めてからハリがでて毛穴がマシになってきた。トナーは5本使い切ってて、3本ストックしてある。国交断絶したら困るものランキングナンバーワン。

 

uka ケンザンブラシ

uka.co.jp

湿疹がでまくる指の保護のためにシャンプーブラシを色々試していて、評判の良いこれに落ち着いた。洗い心地はもちろんだけど、手に収まる形とサイズと重さがちょうどいい。パソコン見続けてガチガチになった頭皮ほぐすのキモチイイーー!!頭皮ってこんなに硬くなってたんだなってけっこうびっくりした。摩耗してきたのでそろそろ2代目を買いに行きたい。

 

サウナセット


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髭男の大ちゃんで興味をもち、フィロのスのマリリの激推しでサウナにはまった。はまったといっても月に1、2回くらいなので家に落ちてるサンプルやトラベルセットを毎回かきあつめてサウナに行ってた。でもそれだとサウナは楽しいけど準備がめんどい。行くまでに手順が多いと楽しさ半減しちゃうな・・・と思ったので、サウナ常連の姉さんたちが持ってる”常連さんセット”をついにそろえたぜ!!

100均のカゴとディスペンサー、Amazonのサウナ入門セットに入ってたフェルト生地ハットとマット、ケンザンブラシとゴシゴシタオル。これをこれまたAmazonで買ったプールバッグに常備しておいて、行く直前に前述のトナーとクリームを放り込めばすぐサウナにいける~!

特に革命だったのはサウナハット。かぶるとのぼせにくくなるし髪ダメージも軽減されるのを実感したので、サウナ行くときの必須アイテムになった。マットは忘れてもサウナハットは絶対に忘れてはならない。目と耳どころか口元まで隠れるやつもあるというのでそれ*3も欲しい。(いつもはサウナハット+口元にタオルを巻いてるのでちょっと面倒くさい。)

月1、2回のために大袈裟かな…と迷ってたけどセットにしてQOS*4が爆上がりしたのでつくってよかった!ただサウナは血圧の遊びなので、そこはきをつけていきたい。

 

スマイル うるおいタイム

smile.lion.co.jp

仕事でパソコンとにらめっこ、休憩時間はスマホを見つめているので万年ドライアイな私の救世主。はじめは安いからって理由で買ったんだけど、防腐剤不使用でオイル配合と成分も良く、眼球にとどまってくれる感じがすごくある。体感としての潤いもばっちり。目薬ってしみるから苦手(涙が少なくて眼球に傷がついてるから?)だったんだけど、これはしみることもないから良き。枕元とデスクと筆箱にそれぞれ常備している。

 

キングジム フラッティ

www.kingjim.co.jp

A4サイズの紙を持ち歩いてサッと提出したり、パンフレットをもらってサッとしまわねばならない機会が増えたので導入。

背板が入っててフタ(マグネット式)がついているので、クリアファイルのようにグニャったりこぼれたりするストレスとはおさらばできた。マチもあるのでかなりの量が入る。

サイズもカードサイズからA4まであり色も豊富。片面クリアなので、アクスタケースもこれでいいかもしれない。帆布バージョンは色もシックで仕事用のバッグインバッグによさそう!

 

innisfree ブラックティーユースセラム

www.innisfree.jp

使い始めは効果がよくわかんなかったけど、30半ばも過ぎた肌にはめちゃめちゃ良いことに最近気づいた。これ塗ると肌がやわらかくなるし、何よりくすまない。まじでくすまない。これが抗酸化作用…!!

使い心地は最高に好きになったんだけど、パッケージがリニューアルされて、某乳酸菌飲料みたいになったのが本当に嫌だ…嫌だ……嫌だよーーー!!!もとの大人っぽいパッケージに戻してよーーーーーーー!!!!!

 

ミャクミャク

expo2025shop.jp

ずっとカワイイなと思っていたので、飲み会後に酔った勢いで買った。

けっこう大きめで自立する。傍らで仕事の行く末を見守ってくれるかわいいヤツ。

 

ゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダム

www.nintendo.co.jp

これは、これは間違いなく“ゼルダ”の伝説だよお…ウッウッ…こんな体験ができるなんて、いい時代に産まれたもんです。ブレワイのモブキャラたちもたくさん出てて、意外とひとりひとりちゃんと覚えてるもんだなーとか、ああ子供うまれたんだなーとか、小さなことにもいろいろ感動しちゃったな。

音楽がとにかくよくて散歩しているだけでも楽しいし、エンディング後もAボタンから指が離せなかった。”体験”として最高傑作!

 

MAC スタジオ ラディアンス セラム ファンデーション/ライトフル C+ ティンティッド プライマー SPF 45

www.maccosmetics.jp

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急にファンデに課金したくなったので。

エアコンの影響で肌ゴビ砂漠になりがちだったのでセラムファンデーションを探してた。セラム系はカバー力がマイルドなものが多い中、MACはけっこうカバー力しっかりあった*5ので採用。一日エアコンの下にいてもゴビらないし、シルバーなんちゃらピグメントのおかげで油膜によるツヤではなく「え?素肌が発光してますけど何か?」みたいな自然なツヤが出てうれしい。ファンデ自体には日焼け止め能力皆無なので、カタカタ振る系の下地をおすすめされた。これがほどよく透明感を与えてくれて密着力も良くしてくれて最高~~SPF 45/PA++++あって乾燥しないしキシキシもしないので、今後は通年これで通していきたい。

 

ロージーローザ マルチファンデブラシ

www.chantilly.co.jp

MACでタッチアップしたときにブラシをすすめられたけど、「いやスポンジでええやろ~」と思い買わずに帰り、翌日スポンジでつけたら全然うまくのらなくてショックだったので慌てて買ったやつ。安いけど毛もやわらかく、薄くつくのにしっかりカバーできて感動した…もうパフには戻れん。

 

MAC ブラシクレンザー

www.maccosmetics.jp

前述の通りブラシでファンデを塗るようになったので毎日ブラシを清潔に保つ必要が出てきた。そういやYoutuberがおすすめしてたな~と思い出し楽天スパセで購入。

これの良いところは水洗いしなくていいこと!

ティッシュにどぼっと出してブラシをそこでゴシゴシしたら完了!乾くのを待たずに使ってもOKらしい。MACでタッチアップしてもろた時にブラシがしっとりしてるな~って感じた理由がわかった。これだ。

なのでファンデブラシだけじゃなくアイシャドウブラシもこまめに洗うようになったので色がきれいにのるようになったぜ~!おかげで毎日顔つくるの超たのしい!!

 

 

今年は、とくに下半期はいっぱいお金つかっちゃったな、でもまあ便利に楽しく生活できるようになったからいっか!

センキュー2023、来年も何に出会えるか楽しみだぜ!!

 

*1:公式サイトに使用アイドルが記載されている

*2:本当に若干だけど

*3:これほしいよ~~!ずっとカートに入れたり出したりしてる。。

bestsoundrecords.net

*4:クオリティオブサウナ

*5:それでもMACの中ではナチュラ

その世界線を優しく埋めて #NEWS 20th Anniversary LIVE 2023 NEWS EXPO

まずはアルバムの話をしたい。
STORYのとき壮大な4部作の締めくくり、幕引きと感じたけれど、NEWS EXPOはそこからさらに一歩踏み込んだ“供養”の作業ではないかと感じた。

 

私は2015年秋以降の彼らしか知らないが、その短期間ですら“ありえたであろう未来”はいくつもある。私がNEWSに出会う以前に分岐したであろう世界線ももちろんあるし、私たちが見えない舞台裏で選ばれなかった世界線もあるだろう。


それらの可能性をなかったことにせず、ごろりとそこに転げていた世界線たちをひとつひとつ手に取る。

あのまま続けばあり得たかもしれない明るい未来、あり得たかもしれない不穏な未来、ずっと喉元に引っかかっていて、でも声にしてはいけないと飲み込もうとした未練、など、すべての可能性を否定せず慈しみそして供養する。美しい未来を叫ぶために、今につながらなかった分岐点たちを優しくその手で閉じていく。

20周年の始まりとして盛大に華やかなアルバムにするだけでなく、すべての気持ちを置いていかないところが彼ららしいなと思った。 その”気持ち”も、ファンのそれではなく自分たちの中に秘めていたものを供養したのかもしれない。人に言えないこと・言わないこととして屠ってもよかったのに、あえて万博という盛大なセレモニーのなかでその世界線たちを並べたことに敬服するとともに、人目のつくところにそれを並べられるまでに世界(ファンしか見ない媒体ではなく、誰しもが触れることのできる媒体でそれをやってくれるという意味での)を信用してくれたことを嬉しく感じた。

 

ツアーでは、数点の衣装を文化服装学院の生徒にデザインを委ねたということにとてもとても驚いた。てっきり私はNEWSの衣装を手掛けること、一挙に引き受けることが増田さんにとっての誇りなのだろうと思いこんでいた。実際、NEWSを一番良く見せられる衣装を用意できるのはまっすーだとEXPOツアーを経た今でもその信頼は揺らがない。でも、一番大切にプライドをもってやってるだろう衣装について「文化の子に思いを伝えてデザインしてもらいました」と穏やかに話す増田さんを見て、もう彼には、他人に委ねる余裕があるんだと静かに衝撃を受けていた。


NEWSにはいつも新しい世界を見せてもらっている。でもそれはNEWSらしさを担う柱のようなものが不動のものとしてそこにあるから、安心してその新しさを受け入れることができる。その柱の一つが『まっすーが手掛けるNEWSの衣装』だと。しかし今回は一部とはいえそうではなかった。では“そうではない”姿の彼らがどう見えたかというと、ペンライトの海の中で変わらず輝いている私の大好きなNEWSだった。過去に敷設してきた柱は根を張り枝葉をつけ、その実をかじり、時に分け与えながらどんどん先へ進んでいっている。荒野がシロツメクサの花畑になり、柱が根を張る森林となり、美しい希望へと歩んでいく。数年前には思いもしなかった景色だ。地に残るわずかな足跡を必死に追わずとも、固執していた“らしさ”に引きずられずとも、眼前に輝く光に向かって歩を進めれば良い。その眩しさが貴すぎて自分が惨めに思える瞬間もあるけれど、そんないじけた影ぼうしさえも愛おしく思われてるのを実感してしまうのである。

 

きっと僕らはundertaker

 

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いくつもの思いやあり得たかもしれない世界線をそっと埋葬し、覚悟をもって美しい希望を引き受け開拓していく。このひと節が、今までとこれからの彼らを象徴するフレーズだと思った。

 

 

NEWS EXPO完走、おめでとうございます。

未来の話をするのは怖いけど、変わっていくことも怖いけれど、きっと良い旅路になることは間違いない。そんな確信をもらえたツアーでした。
NEWSに、すべてのチームNEWSに幸あれ!

私のことばが失踪中

最近ことばのアウトプットがぜんぜんできません。

良いお芝居も観たし、映画も観たし、日々感動する大切にしたいと思えることはたくさんある。でもいざそれを言葉にしようとするとちっともうまくいかない。ただの事象や私の気持ちっぽいものの羅列になって、ぜんぜんのど越しのいい文章にならない。

 

だからといって吐き出せなくて苦しい!というわけでもない。書かなくても生きていける。でもぼんやりとは書きたいなって思ってる。でももどかしいわけじゃない。

 

これは私がいま精神が安定して平穏に過ごしているからか、と考えてみたけどそれもそうでもない。相変わらず世界は理不尽だなと思うし、上手く行かないことのほうが多いし、好きな人たちが傷ついてるのを見て傷ついていたりもする。

 

じゃあなんでその思いを文章にぶつけられないのか。たぶん今の私は、上手くいかないことも、上手くいかない理由も、上手くいかない原因となる人も、私の好きな人を傷つける人たちも、ぜんぶ愛おしいと思えてるからだと思う。それは全ての人は救われるべき!とか、社会が悪いから!とかそんなんじゃなく、もっと根本的な「生きること」への慈しみで、いろいろなもの、人、立場、仕組みからある程度距離をとって眺めている感覚。かつ、なんとなくだけど今の自分に自信を持てている感覚。根拠のない自己肯定感が妙にあって、これは一体なんなのかはよくわからない。この社会にとって毒にも薬にもならないいまの私が次に衝動に突き動かされたとき、一体何に衝撃を受けて、どんなベクトルの感情が働いてそれを言葉にするのか注意深く観察したい。

 

この世の全ては伸びしろしかない。

しばらくはこのマインドで世界を慈しんでいたいと思う。

首を絞める真綿を焼き切る光とは ―「掃除機」@KAAT

不躾に開けられたカーテンから日の光が差し込む。仄暗さに慣れた眼の奥をその光はチクチクと焼く。
太陽なんてどうだっていいんだよ。
私はお前に、向き合ってほしいだけ。

 

 

交わらない視線、越えられない壁

大学で人間関係につまづき、以来自室に引きこもり続けている50代のホマレ(家納ジュンコ)。
ホマレの弟リチギ(山中崇)は毎日シャツをズボンに入れて身奇麗に外へ出かけるが、行き先は図書館、公園、河原を流浪する無職の身。
そんな二人の父チョウホウ(モロ師岡)は妻に先立たれ、もう足元もおぼつかない80代の老体である。
そんな家族を長きに渡って見守り、時に話し相手として寄り添ってきた「デメ」と名付けられた掃除機(栗原類)。
家族の独白を、デメが受け止めるという形で物語は進む。

 

ホマレは昼間に自室に掃除機をかける。掃除機をかけている間、ホマレは階下に向かって罵る。

「お前のせいでこうなったんだ!」

上から聞こえてくる吠え声を、リチギはイヤホンで耳を塞ぎチョウホウはテレビをつける。

「あれはね、お前、ってのは死んだ妻のことなんですよ。私のことではないと言ってくれてるんですねえ」

チョウホウはそうとぼける。

出かけようとするリチギを引き留め、冗長に新しいコーヒースタンドで買った豆の魅力を語る。口もまわらず足元もおぼつかないチョウホウ(モロ師岡)だが、厳格然とした父性(俵木藤汰)も、朗らかな感受性(猪股俊明)も依然現役である。あるのだが、彼なりのコミュニケーションは自分本位であり、ホマレのほうもリチギのほうも向いていない。あくまでもチョウホウの内に向いたコミュニケーションになってしまっている。

ホマレはまっすぐに自分と向き合ってほしかった。

生前の母が”社会への接続”である復帰プログラムばかり持ってきたこと、チョウホウが親戚へ顔を出すよう、日の光を浴びるよう強制してきたこと、それはどちらもホマレの望んだものではなかった。ホマレも、姉にばかりかまけて住みづらい部屋を与えられ、火傷にも気づいてもらえないリチギも、まっすぐに自身そのものに向き合ってほしかっただけであったのに。

 

閉塞した一家は、事態の解決を「死」に求める。

とりわけリチギは死への羨望を恍惚の表情で語る。デメにスマホを持たせ、小説のような語り口上を撮影しスマホの中に理想の自身を閉じ込める。逃避の欲望はあるものの、図書館・公演・川辺を流浪する。

 

そんな折り、かつてのバイト仲間のヒデ(環ROY)に再会する。

サンパウロの自由な街路樹。ヒデの後押し。リチギは彼が退屈しないように漫画を購入し家を出る。

 

「困ったなあ…」

ヒデの介入でギリギリを保っていた家族のかたちが壊れる。

ヒデは居座るだけで、なにもしない。

このままだとチョウホウかホマレのどちらかがくたばることでしか事態の打開は難しいだろう。リチギの絵葉書で、また何かが変わるだろうか。

 

 

ところでデメは気づいているだろうか。

ホマレに連れまわされながら罵りを聞かされて、蹴られ、愚痴を日々聞かされ。

ホマレから立派なDVを受けていることに、自身も手を差し伸べられるべき存在であることに彼は気づいているのだろうか。

「リスペクトしてほしいんだけどなあ!」

デメが慎重に保っていた均衡を壊したヒデに対する反応も、児相等の第三者の介入があった際の子供の反応そのものだ。

そんな彼に「もっと視野広くもった方がいいんじゃないの?」とヒデは言う。

目をひんむくデメ。そこでこの物語は終わる。

何も解決していない。電力の及ぶ範囲しか生きられないデメは外に出ることは叶うのだろうか。どうやったってコンセントを抜けない、抜いたところでどうにもならないと知っているデメは家に留まり続けるしかないのでは、と閉塞した部屋の空気で肺を重くした。

 

カーテンコールの後、奥に消えていく家族に反し、ヒデがざあっ、と暗幕を開ける。

ビルに隠れきれなかった太陽が眼の奥を突き刺して痛い。思わず両目を手で覆った。

覆ったままでいいのだろうか。でもまぶたをも通り抜ける不躾な太陽の暴力性がなければ、未来は見えないのかもしれない。

 

雑感―美術や演出や類くん環ROY氏など

会場に足を踏み入れてまずその舞台美術に息をのんだ。

まるでスケートボードのコースのごとく歪曲した床≒壁。重力に抗いながら這い上がったり、しがみついたりする姿が現状脱却からの難しさをフィジカルで表現されていてとてもよかった。壁に手が届いたもののずり落ちたホマレの「まあ、どうだっていいけど」が悲しい。

また、親戚に顔を出すようチョウホウが二階に上がってきたシーンでは、バルコニーに置かれたテーブルとイスがやけに目についた。応接間の親戚のプレッシャーが視覚化され、良い効果だった。

またホマレのベッドにあるタオルや裁縫箱、大事にしてるぬいぐるみが「うちのタマ知りませんか?」のタマなのも、ホマレの止まってしまった時を見せつけてきた。

 

演出の面においては、リチギのキャラクターの立たせ方がとても楽しかった。

現実の自分と夢想の自分、芝居口上で夢想に逃避するとき一瞬だけ「わたし」になる一人称、相手が退屈してるのもお構いなく自分の話をまくしたてるチョウホウそっくりなところ。

 

栗原類くんと環ROY氏の存在感についても述べたい。

出てきた瞬間に「掃除機である」と飲ませてしまう彼の眼光。冷静に家族を見つめているようで、瓦解しかけている家族を深く愛している、だからこそ慎重であるその姿勢の危うさにとても惹きつけられた。

 

今作の転換を全て背負うヒデを演じる環氏。中盤にかなりの長尺台詞を担う。

けだるげに切り出されるその論はやがて地を打ちリズムを刻み、太陽の光のように観客に差し込んでくる。この世界はクソだらけ、クソにまみれないためには何もしないこと。ヒデ自身は何もしていない。でもリチギが家を出る決定打を与え家族の均衡をぶっ壊しているという矛盾がとても面白かった。そういえば歪曲した家の美術に気をとられ、彼のいるDJブースに気付くのにしばらく遅れた。視野が狭いと、わずかなきっかけも見逃してしまうものだなとあの卓を眺めながら思った。

 

 

閉じた空間の内にいるうちは身動きがとれない。状況を打開するにはヒデのような、まぶたをも透過する太陽の光のような無遠慮さが必要だ。雪の静かな朝を愛でる者にとってそれは不快なものかもしれない。恨まれる結果になるかもしれない。でも解決の道のひとつならば、恨まれてでも太陽にならなければいけないのかもしれない。行政が、とかではなく、わたしたちひとりひとりがまっすぐに見つめなければいけない。広い視野を持たねばならないのは、みな一緒なのだから。

シゲのまつ毛は長かった NEWS LIVE TOUR 2022「音楽」

その日、私は口をあんぐり開けてこう喘いだ。

「シゲのまつ毛が、長い」

スタンド最前でトロッコの真下から自担を眺めた感想がこれである。メガネ越しでもわかるあまりのまつ毛の長さに、近くて嬉しいとか、こっちを向いて!とか、ファンサがほしいなどよりも、「シゲのまつ毛が、長い」という衝撃が私の感覚と脳を全て支配した。上手へするすると去っていくシゲを呆然と眺めていく私を慶ちゃんが満足げに眺めていた、ように見えた。

 

ここに集う意味はなんなのか。

いわゆる”おたく”ではない人に現場に赴く意味を伝えるのは非常に難しい。いや、それがおたく相手出会っても難しい。推しをひと目見たいから、近くにいきたいから、ファンサがもらえるから、演習を体で感じたいから、会場の一体感を味わいたいから……集まるひとの分だけ集まる理由がある。自分自身の理由だって、刻々と理由が変わっていく。

 

でもそれをまるっと包括して受け入れて媒介してくれるのが音楽。音楽がなければこうやってここに集うこともなかった。スモークの甘い香りで肺を満たせるのも、見知らぬ隣の席の人と双眼鏡を構えるタイミングが揃うのも、カスタネットで手のひらの肉を挟んでしまうのも、そこに音楽があるから。音楽を奏でてくれる人がいるから。

「音楽」があるから私はここに来た。「音楽」のおかげでここに来れた。この幸せな空間に。

 

そんなことを、シゲのまつ毛の長さを反芻しながら考えた。なんかそれ以上でも以下でもないのだけど、なんかすごく腑に落ちた。私はここに、当たり前のことを確認しに来た。理由とか、責任とか、功罪とか、考え過ぎちゃうことはいちど置いていこう。NEWSを続ける理由が「音楽」なら、私は「NEWSの音楽」のためにここに来た。究極それだけ。そして思いもよらない、シゲのまつ毛の長さという衝撃を手に入れた。ウケる。さあドラムの音を聴け、ここは裏拍だ、周りは表でも気にするな。そこにあるのは確かに「音楽」だから。彼らの「音楽」についていけば、身を委ねれば、これからも間違いないでしょ。

正しさ、その線引き ートリガーライン「TRIGGER LINE」ー

2022/11/10 マチネ@中野HOPE

BSニュース番組「44ミニッツ」に匿名の告発書類が届けられた。
それは、あるテーマパークの安全性を脅かす極秘資料だった……。

「ある事実」に直面した登場人物たちの目線を通して描かれる群像劇。
人は何に向き合い、何を選択し、何を手放すのか……

トリガーライン 公式サイトより引用


とあるテーマパークの内部告発を巡る、報道番組スタッフとテーマパーク運営会社、プラスαが描く群像劇。

私はこの物語にたくさんの正しさの線引きを見た。

 

※以下、「役名 / 演者名」敬称略にて記載

 

 

BSニュース番組「44ミニッツ」

中谷しおり(キャスター)/ 杏実えいか

友達の付きそいで受けた採用試験で合格し、なんとなくで歩んできたアナウンサー人生。スキャンダルともいえない食事をスキャンダルと書きたてられ、BS番組に”左遷”。そこから所謂「やりがい」というものを見つけられず、番組打ち切りの話を聞いても、安藤さんに「どうしたいの?」と聞かれても明確な答えもない。

そこに飛び込んできた平山からのスクープ。大企業と戦うにはあまりに非力な彼女に、報道番組のキャスター以上の何かが彼女の中から湧き上がってくる。自分が掴んだ”正しさ”を貫くだけでなく、その後も「見守る」と宣言した彼女の瞳は、報道人としての輝きがやどっていた。

 

安藤朋美(チーフディレクター)/ 清水優華

みんなが居なくなってからやっと、「やっちまったなあ」と一人涙を流す。それは彼女の強さなのか、弱さなのか。

安藤さんはなんか、「身に覚えのある」がいっぱい詰め込まれているというか、頑張っているところも、自分じゃどうにもできないことも、これじゃだめだってわかってるけど進むしかない、と言い聞かせてる感じというか、心の深層に置きがちなものを見せてくれる人だった。病院で連絡がとれなかった、とらなかったあの何とも言えない身体の重さは、シーンとしては直接描写されていないのにひしひしと伝わってくる。

終盤、花岡さんにお見舞いのお礼を言うシーン。たぶんけっこう勇気を出してお礼を言ったのだと思う。気持ちをストレートに言える花岡さんはお見舞いなんて当たり前なのに何を改まって…と少し面食らっていたけれど、私にはなんとなく、あのときの安藤さんの踏み出した一歩はとても大きいように思えた。

 

 

花岡元(ディレクター)/ 薄井啓作

報道マンの野生のカンを頼りに生きているタイプ。先輩風をふかせつつ対等に神崎に向き合う姿、「木工用ボンドじゃ革靴はくっつかねえ!」という斜め上な突っ込みや、はじめ人間ギャートルズという世代が限定される比喩、神崎の怒りの熱弁の向こうや打ち切りの報でオンオンと泣く姿など一挙手一投足が愛おしく、ヒリつく物語のなかで場を和ませてくれる貴重な存在。物語に感情移入しすぎて気持ちがしんどくなってきたら、花岡さんを探して、花岡さんが何をしているかをみて心を落ち着けていた。実際に職場にいたらとても頼りになる方だろうな。

 

神崎耕平(アシスタントディレクター)/ 藤原儀輝

この物語の根幹となる台詞を言えるのは彼しかいなかった。若さゆえの正義感からのエネルギーから放たれるそれはダイレクトに観客へ届く。

雑用を疎うシーンがあったけど、環境を整えるってことは組織の生産性をかなり向上させるんだよ、めっちゃ大事だよ~~と思いながら見ていた。

「報道がやりたいんですよ、報道が!」

そのモチベーションははじめの頃と物語終盤の頃ではかなり熱量が異なる。結末に向かうために、観客の気持ちといっしょに並走してくれるとても頼もしく、親しみやすい人物だった。

 

藤堂直久(プロデューサー)/ 重松宗隆

経験と良心と野心、そのバランスがとれた正しい姿。この物語のバランサーであり一番の”やり手”である。おそらく安藤さんはじめ部下のやり方にはあまり口をださず、責任はしっかりとってくれるタイプの理想の上司。「本当にわからないんですか?!」のくだりは若干荒療治っぽさがあるものの、組織にたりないものを考えさせて、行動させて、「正しい」けれどスレスレな部下たちの行動の責任とって、そしてちゃっかり出世する(しかしそれは自分だけでなく部下のためでもある)。心理的安全性を担保できた良い組織づくりができる藤堂さんみたいな上司、うちにも欲しい…。

 

▼株式会社 トロピカルランド

北条達彦(代表取締役社長)/ 鍛冶本大樹

会社のことやアクアフラッグを語る姿、ヒートアップしてやんちゃな言葉が飛び出すインタビュー、”なりたい自分”を演じようとする姿(客人にウイスキーふるまっちゃうとことか)、記者会見で開き直りというより虚勢で少し上がった顎、粉飾決算の真実を知ってしおしおに萎れた背中、出頭前の反省と未来を見る瞳。

どこを切り取ってもずっと北条はピュアで、こんな上司だったら下は面倒くさいだろうなと思いつつもネガティブな情報を彼の耳に入れたくないな、とも思いそう。それは怒られるからとかではなく、彼の描く夢が実直すぎて、そのきれいなビー玉のような瞳を曇らせたくないよな、ずっと美しい夢を美しいまま見ていてほしいと思わせる魅力が北条にはある。そのピュアさ故に福山につけこまれることにはなるのだけど。。

彼は人を信じすぎてしまう、でもだからこそアクアフラッグも良い構想だったんだろうな。彼が作ろうとしたものを見てみたいなと思う。

 

水島令子(総務課室長)/ 土屋いくみ

粉飾決算を主導し、コストカットのため安全基準をクリアしていない部品を使用、結果としてレインボーコースターの事故誘因となる人物。威圧的で、アウトギリギリなラインで敵を追い詰めるヴィラン……という見方で片づけても物語は成立するが、私はどうしても彼女の眉間の皺が鎧に見えて仕方がなかった。

彼女が粉飾決算等の悪事に手を染める具体的な動機は直接的には描かれていない。しかし「私は、社長の味方ですから」という台詞から、北条へ仕事以上の感情の肩入れがあったのは間違いないし(それは北条への恋慕なのか、北条の夢への共感なのかはわからないが……実は彼女もまた北条と同じ施設出身で、会長の遺志を継いだ者なのかもしれない、なんて妄想もした)、彼女なりに会社やアクアフラッグを守り抜こうという強い意志があったのだろう。とった手段は言わずもがな最悪だけれど。

北条のインタビュー時の(余計なこと言うんじゃないわよ)という空を仰ぐにらみや、初手から福山を信用していないあたり、本当に彼女はひとりで責任を負ってやりたかったんだろうな。最初は北条が無能だから情報を上げてないのか?と思って見ていたけれど、「味方ですから」という一言、「もうどうしたらいいかわからないんでしょ」と吉川に言われたときの表情で、こわばった目元の意味を察することができた。

また、あくまでも契約で相手を縛ろうとするところ、「品のないことはしない」と言い切るところから彼女なりの”遵法意識”という美学が見て取れて面白かった。その目的としてやったことはマジでダメだけど。弁護士資格の設定はその美学の補強のためだったのかな?

最後、悪事をすっぱ抜かれて憑き物が落ちたような声、北条の「刑期があけたらまた一緒にやろう」との言葉への目元のゆるみ…それを見れて、とても安心した。

 

吉川誠司(広報課課長)/ 寺内敦志

”男として”会社に残る選択をし、社長と室長がお縄になった後ひとり椅子に沈み込んだ吉川。電話をしても平山は出ない。結果的にフラれた形となった。

平山目線では頼りない彼氏に見えるけど、あの段階で彼女を信じて即オッケー俺も戦うよ!とはいえなくない?吉川は吉川なりに頑張ってない???と観劇しながらすっごく応援していた。何より、劇後の人生では、登場人物のなかで彼が一番大変だと思う。

粉飾決算をした会社がその後どうなるか、、まずは社内の資料の総当たり、保存、社員ほぼ全員への聴取、再発防止策の策定、数年にわたる定期的な監査と報告。失った信頼を取り戻すのは並大抵のことではない。それを「あとは任せてください」と言える彼は、残った者として良い責任の取り方をしたと思う。

「信じてくれる人を見つけてね」と平山に言われていたけれど、彼は信じてくれる人がいないのだ。信じてもらうために、生きていかねばならないのだ。

 

平山千春(設備メンテナンス課社員)/ 一岡杏奈

自分の大切な場所で起きるかもしれない事故。正しいことをしているはずなのに追い出されてしまった……純粋な正義感は衝動のまま走り出す。

純粋が故に詰めが甘く一人でなんとかなる、と考えてしまっていた。あの時あの店で花岡さんに出会えて本当によかったね。中谷さんに向き合ってもらえてよかったね。

強い芯のある純粋さと、純粋さ故の危うさを絶妙な匙加減で演じておられたので、この手のキャラにありがちな鼻につく感じもなく、どうか彼女の命がけの行動が実を結びますようにと祈るような思いで観劇していた。

それにしても、正しいことをして、正しいことをした人を守る法律があるっていうのに石を投げられたり、ないことないこと言われたり、それの反証のためとはいえ週刊誌に記事になったり……なんて世の中は理不尽なんだろうか。でもその理不尽に加担していないか、と問われたら、正直答えに詰まる。知らずのうちに千の嘘をのみ込んでしまっているかもしれない。これから加齢でどんどん脳が委縮していく中で、私は正気でいられるだろうか。正しいものの煌めきを、ちゃんととらえることができるだろうか。

 

▼週間「インサイド・ナウ」

百瀬郁夫(編集長)/ 林田一高

遵法意識のあるアウトロー、という藤堂と対になる存在。藤堂が正攻法で攻める光であるのに対し、百瀬は影から正しさを追求する。

「正しさ」は色々な種類がある。

法的な正しさ、道徳的な正しさ、感情的な正しさ。人の数だけ正しさがあり、その人の中にもまた数多の、時に矛盾する正しさがあり、その正しさは他者の正しさと合致しないこともある。

百瀬のなかにある「正しさ」のひとつに”売上”が存在した。それのためなら女子アナが左遷されようが議員が辞職しようが自責の念は生まれない。今回は昔馴染みの藤堂と利害が一致したから応えてくれたものの、そうでなかった場合はきっと違う結末を迎えていただろう。それに気づいたとき、人間社会という不安定な営みをまざまざと実感させられた。

 

▼危機管理コンサルティング会社 T&Hカンパニー

福山友和(代表)/ 桧山征翔

出てきた瞬間「やばい奴がきた…!」と鳥肌がたった。

おそらく北条と同じ施設出身だというのも北条に近づくための嘘だし、北条から金を引っ張るためにいろんな暗躍(安藤さんの息子をひき逃げして、それに乗じて真っ赤なポルシェに乗り換えて、石を投げて―)をして、身なりも行動も派手になってゆく。

そして、伝書鳩は黒烏に屠られる。法の裁きも受けぬまま、目立ち過ぎた駒は引導を渡された。彼が何者だったのかもわからない、彼は何者になりたかったのだろうか。

「必要悪でしょ。」

必要とされる人にはそうでしょう。でもそれで被害を被る方はたまったもんじゃねえや。

めちゃくちゃに悪い奴だとわかっていても、とても人懐こくてチャーミングで目が離せない存在。笑顔からにじみ出る不穏なスパイスにはまったら、たぶんコロっとお金を差し出してしまいそうだから一生出会いたくないキャラクター。

 

全体を通して

私自身まさに「安全」「適正な会計」を日々追及しなければならない仕事のため、やってはいけない懲戒事例のデパートである水島さんと、それに巻き込まれ尻ぬぐいをしなければならない吉川君に非常に感情移入しながら観ていた。やっちゃいけないことだってのは、やってる本人が一番わかってるんですよね。でもそうせざるを得ない外的要因や心理的要因が影の方へと引っ張っていってしまう…水島さんの動機と、罰を受けたあとどのように責任をとっていくのかをもっと知りたいなと思った。

また、板の上に自分を見出してしまう存在としては安藤さんが非常に強く作用していて、理想と現実がそのまま眼前にあるような心地の良い居心地のわるさがあってとても面白く拝見した。なんていうんだろう、仕事も夫も子供もぜんぶ大事、どれもジャンル違いでどれも間違いなく1位なんです、みたいな。そんな感じ。独り泣く、ぶわっと後悔が襲ってくるあの感じ……。

 

序盤、福山・北条・百瀬をブロマンス的な視点で眺めていたけれど、中盤~終盤で藤堂さんが百瀬さんをかっさらっていった感じがめちゃくちゃ痺れ、しかし先述した通り昔馴染みだからというより、昔馴染み+利害の一致という2つの要素からのタッグであることに気付いて一筋縄じゃいかない絶妙な関係性じゃん…!と震えた。

 

女性陣はシーンによって衣装が何度か変わっていくが、どれも役柄にぴったりでとても素敵なスタイリング。とくに衣装数の多い平山ちゃんは状況や心境を反映していてとても良かった。居酒屋での、ちょっと浮足立っているであろうタイミングのふわふわスカートからデニムにかわっていく感じとかとても良かったな。最後の中谷さんの鮮やかなスカートも未来の明るさを示しているようで素敵。神崎君はなんか、仕事着と普段着をしっかり分けるタイプなんだろうなーと勝手に思って観ていた。

 

ジェットコースターのようなストーリー展開のなかで、しっかり各キャラクターが生きている素晴らしい群像劇。きっと何度もおかわりしたらもっと色々な気づきがあるんだろうな。上演台本も申し込んだので、各キャラクターの心の動きをもっと知れそうで楽しみです!素敵な公演をありがとうございました!

 

叩けよ さらば開かれ…… 「かつてのJ」

私は作品には人格があると思っている。演劇にしろ、音楽にしろ、映画にしろ、板の上に乗ったら、作品としてパッケージングされたら、それは作者のものでも俳優のものでも演奏家のものでも観客のものでもない、何者からも切り離された「作品」としての人格があると思っている。*1

でもこの「かつてのJ」は、作品という人格として扱うには非常に血が濃かった。それは私が彼がWであったことを知ってるからとか、偉大なるJの刹那的なアガペーや理念や理不尽さから否応なく継承される美しい物語を見てきているからとか、桶や水着で踊るクソ文化をクソと思いながらもそれを消費することでしか“応援”できる術がない事実がクソだなと思ってることとか、彼がJになってから投げつけられた言葉や彼のなしえたい世界を知ってるからとか、その世界の実現のために、少なくともわたしは彼の嫌う資本主義という槍を振るい続けなければいけないんだよなとか、いろんな要素が私にあるからであって、今回はエモーショナルになりすぎて非常に没入しづらかった。従来の彼の作品に比べてローコンテクストで、板の上には明確に「WとJ」が存在し、観客として「わたし」が存在し、互いに対岸を並走する人生を俯瞰で観た。かながわ短編アワードへの痛烈なカウンターをかましながら、かつて偶像であったJの人生の末路を未来への祈りの偶像としてあの地下に屠ることにより、浄化と自戒の物語は幕を閉じる。奈落の底からの叫びを聞かせるキリキリとした笑顔が網膜に焼き付いている。奈落の底からベニヤを叩いたらそれは開くのか。開いたとて差し伸べられる手はないかもしれない。ならば後に続くこどもたちに差し伸べる手になるために、強く這い上がるしかない。これが演れて良かったとおもう。これを観れてよかったと思う。

 

 

一方、私は「かつてのJ」という作品とは別に、今イベントにおける、彼のいうところの「責任」のとり方(結果論的なものではある)が、あんまり好きではなかった。

 

彼のnoteでも書かれている通り、今回は非常に販売・収益の最大化というところに力を入れているように見えた。見えたというかあからさまにそういう動きをしていた。ので、勇み足でチケットをとるなどそれに応えようと私(たち)も動いた。彼のDM送付などの賢明なアプローチでエリア51名義で70席ほどを売り上げたという。すばらしい。たくさんの人に作品を見てもらえた。「かつてのJ」は喜んでいると思うし、私も嬉しい。

 

今シーズンの投票結果が発表される日、神保氏から「かつてのJ」の得票数・順位の公開、スペシャル公演出演希望を控える旨のお知らせがあった。

私は彼の魅力を、己のマスターベーションを美しく見せてくれるところだと認識していて、今回も「かつてのJ」という昇華を美味しくいただいた。ただ、今回の彼の“検証”という名のマスターベーションは、ビジネスとして展開し人を巻き込んだそれとしてはあんまり美しくなかった。投票があるイベントで、買ってくれと働きかけ、会場の多数をエリアの扱いチケットで埋めて、観客の投票も済んで、のタイミングでのこの発表で、なんと表現したらいいか、コールアンドレスポンスがあると思って思いっきり声をだしたけど、なんか私だけ勝手にレスポンスしちゃったー!ここ盛り上がりどころとちゃうんかーい!みたいな、振り上げたテンションの行き場のなさにずっこけた。とまどった、とか裏切られた、というより、ずっこけた。あえなく私の票は死に票となった。こうなることがわかっていたら、私の票は生きた票にしたかったな、ほかの作品に面目が立たねえ。少なくとも私は、いま、「かつてのJ」を人質にパッションのスリにあった気分だ。

作品は作家演出家演者がどう扱ったっていい。というか作品の主権は彼らが持っているとされるのが一般的だ。作り上げた作品がイベントの趣旨にそぐわなくなったと感じたということ自体は責めないし、作品という生き物を産むうえでは避けられない道筋のひとつだろう。演劇を継続するうえで、収益を重視しなければいけないというのも一つの重要な柱で、それを実証実験する目当てと試みもよかったと思う。だからこそそれを支援しようとチケットを買う人がいる検証だったならば、投票イベントがある催しであること、それに票を投じるひとがいること、収益として成功した結果に付随して起こるであろうことをもう少し慎重に予測してほしかった。クリエイターとしての美学と、自営業者としての信用はまた別ものじゃないかい。いま私は実に資本主義的なことを書いているね。でもなんか、レギュレーションを信じてのぼったハシゴを外して去っていく君を、ぽかんと眺めている、そんなかんじ。

 

良い作品を観れた。それでリターンはじゅうぶん。なのにそれ以上を求めるという、おたくとして一番よくないムーブをしているのはわかっている。でもここからハシゴなしに飛び降りるにはちょっとまだ身体が重すぎる。なのでここに書き置かせてもらうよ。この言葉たちは、奈落にとって槍となってしまうのだろうか。わからない。

*1:登場人物・役もしかり。

六角形のレンズで君を見る ―エリア51「虫の瞳」―

帰りの満員電車で、よろけた拍子に後ろの人の足を踏んでしまった。

「ごめんなさい!すみませんでした」

「大丈夫ですよ、イテテ…」

からだとうらはらの言葉が返ってくる。更に謝ろうとしたけど彼女は電車を足早に降りてしまった。

 

電車から降りようとする白杖の方を介助しようと、「おう、」と男性が腰に手を回す。危害を加えられたと勘違いした白杖の方が男性の首を絞める。

「ちがう!ちがうって!」

蜘蛛の子が散るように、人が離れる。

 

うらはらの言葉、やり場のない謝意、優しさが伝わらない選択、自ら遠ざけてしまった好意。

 

虫の瞳に映すべきものとは。映したいものは…

ギャラリーで目の当たりにしたものと、目の前の光景が万華鏡のように脳裏に広がる。あの居心地の良さと、目の前の居心地の悪さの差はいったい何だ?

 

 

虫の瞳

"孤立"を考えるパフォーマンス・アート

グレゴール・ザムザはある朝、

目が覚めると虫になっていた。

これまで家計を支えてきた布地販売員の

仕事は断念せざるを得なくなり、

生活は一変する。

伝わらない言葉 周囲と異なる身体 続く命

その「孤立」は絶望にしか繋がらないのか。

――――「虫の瞳」特設サイトより引用

 

野志

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カチカチとメトロノームが拍を打つ部屋で、カプセルで手遊びをしている。カラーボール、スリンキー、花札など数々のおもちゃがジョイントマットに散らばるさまは、さながら彼女の中のいちばん奥の、幼児的な好奇心を現したよう。

部屋に足を踏み入れるといっそうメトロノームが響く。まるで彼女の体内に潜り込んだかのように。私の気配を察した彼女はおもむろに脈をとり、メトロノームを整える。

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新たな拍のなかで、彼女は鍵盤ハーモニカのチューブで囲ったなかからカプセルを取りあげた。カプセルの中には小さな脳。カプセルを拾い上げ、回したり投げ上げたり、カラカラと振り、耳をつけ何かを感じようとしている……席を移動した私の足跡を目で追いまた脈とメトロノームを合わせる………そしてまた興味深げに、そして遠慮なく脳カプセルをくるくる回す。

ひとしきり脳カプセルを堪能した彼女はこちらの床に目を向け、狙いを定め、勢いよく転がす。ちらばるおもちゃにひっかかるカプセルもあればマットを越え壁や私の足にぶつかるものもある。その様子を時に満足気に、時に物足りなさそうに眺める。お手玉をしていて手から弾け飛んでいってしまった脳カプセルは、諦めの目線がちらりと向けられ彼女の興味から外れる。

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足もとに転がってきた脳カプセルを手にとってみる。それを振ると、なるほど、カラカラという音に反してゴロンゴロンとした不規則な手応え。カプセルの角度によって、刻まれた脳溝も様相を変える。メトロノームの拍のなかで、しばらく私も脳カプセルに見入ってしまった。

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ひとつのカプセルの脳が割れている。割れてしまったのか、割ってしまったのか。

カプセルを無邪気に愛おしそうに手に取る表情、こちらの気配に少しの戸惑いを見せメトロノームを整える首すじ…そこに「人間は好き、人付き合いは苦手」そうな彼女の心音を聞いたような気がした。

他者の脳を見たい。知りたい、感じたい、理解したい。あのひとの脳に自由に触れられたら。感じることができたなら。彼女のうぶで幼気な欲望のリズムに、私の鼓動も同期を試みる。でもきっと彼女は、私に彼女の鼓動を計られるのを嫌うだろう。ふたたび、彼女の指は頸動脈へと伸びる……それでも私は知りたい、あなたの脳をカプセルに入れてこちらへよこしてよ。私のも差し出すから。あなたのメトロノームと私のメトロノーム、それぞれのモノリズムは美しいポリリズムと成りうるか。

 

高田歩

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カーテンをくぐると薄暗い部屋。

青いライトに照らされ、壁にぴったりくっつく箱の中に彼女はいた。

隣の部屋のメトロノームの音がすこしくぐもって聞こえてくる。青い光と彼女が身に着ける水中眼鏡も相まって、まるで水の底にいるようだ。

箱に貼られているのは彼女の書いたことば。

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「逆立ちをしたら、おならとはちがう空気がでた。あれはなんだったんだろう」

「背中のゴリゴリが痛い」

「おしりが冷たくて困ってる。おしりが冷えるとからだの10cm内側が冷えたような気がする」

メトロノームより少し遅い心拍数」

「首があったかい 手があったかいのか?触れた感じだとこんな感じ」

「目をつむると三角のなかに三角。また三角。次はキラキラ。」

「右のかかとががんばっている」

「息がしやすくなってきた。でも呼吸に意識を向けると苦しい」

「足の甲がかゆい。なにも当たっていないのになぜ。」

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箱の中で、時に自分が書いた言葉を見上げながら自分の身体をひたすらに観察している。その観察対象の身体は、身体の奥深くのこともあるが、どちらかというと「外界と接している身体、その反応」にひたすら目線を向けているように感じた。

差し込む光、隣から聞こえてくる他者の心拍数、床や壁から返される力。自分ではないものに触れている身体。箱に閉じこもり自分を見つめることで、外界と自分のにじみを探る。

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「地面 冷たい。」

パンプスを脱いで、床に直に触れてみる。

炎天下を歩いてむくんだ足に心地よい感触。彼女と同じ床に触れているのに、私と彼女の受け取る感触、求めるもの、返されるものとはきっと違う。別の個体としての私と彼女が接するこの外界も、触れてくる個体の数だけ見せる顔があるのだろう。

貼り付けたことばを見つめながら、彼女が一枚服を脱ぐ。より肌で外界との自己の摩擦を観察するために。

 

神保治暉

部屋を走りまわる電車たち。f:id:maromayubanana:20220706165313j:image

近くに歩み寄り耳を澄ます。

机の上でひとりめぐる電車は、カフカ「変身」で虫に成り果てた主人公の”グレゴール”のセリフを、部屋を右往左往に走り回るふたつの電車はグレゴールの“家族”とそのほかの登場人物のセリフを吹き出し続けている……グレゴールをなるべく見ないように生活にあくせくする家族。家族に“ないもの”とされ逡巡するグレゴール。

床いっぱい走り回る二つの電車の視界にはぐるぐるとあがく電車は見えておらず、彼らは時にガガガと車輪を鳴らしながらレールを滑り降りる。高低差のあるレールは複雑な胸中のみだれのよう。

壁を見上げれば、彼のPCの画面が大写しになっている。「変身」の一場面、にグレゴールか彼の心情か、「変身」にないものが書き足される。

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この部屋は唯一外につながる扉が解放されていて、走り回る汽車の音に交じってほのかに街の喧騒が生ぬるく侵入してくる。しかし彼はそのすべてを“ないもの”としている、“ないもの”、というか、“きにしないもの”にしている。彼はそれらに対してプリンターからテキストを吐く。

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外界との通信手段も充電という行為にかこつけて伏せられている。

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吐き捨てられたマスターベーションの成果物を持ち帰ることを許された私たち。“ないもの”にされた彼が“きにしないもの”とした私たちに“あるもの”を残す。腹に落ち切らない矛盾さの中で紙を拾った。
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窓ガラスで夏の暴力性をろ過したやわらかい光の中で自慰にふける。私たちはそれを見ている。その成果物を握らされる。

鮮明に聞こえていたグレゴールの声、ここからでは数多の反響に混ざり聞き取ることができない。聞こえないから気づかないフリ、わからないから見ないフリ、アンタッチャブルだから見ないフリ。見ないフリをすれば、”ない”ことになるのか?

手にした紙が、「否」と唱える。

 

山本史織

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この部屋は、においがした。

登校前に友だちの家まで迎えに行って玄関で待っているときのような、よその家のあさごはん、生活のにおい。

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本来料理をするべき場所であるキッチンには様々な資料や画材道具。「ただしい手の洗い方」の掲示には容赦なく写真がかぶせ貼られている。

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スナック菓子、カップ麺、ティーバッグのでがらし、インスタントのお味噌汁、レトルトのパスタソース、シリアル・・・”食”に関する労力や手間をほとんど排除。生活のにおいがするのに、そこに生活の要素は薄い。

ニュートンはひまじゃなかったら 万有引力を発見したか」

――――「虫の瞳」当日パンフレットより引用

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彼女は生活への手間を排除し、意図的に”ひま”を創出している。ファストな食事、枕元にあつめられた衣服や装飾品、いつでも寝転がることができるベッド、外の世界を流しつづけるラジオ、脱ぎ捨てられた靴下。

見渡せば無数のコラージュ、キッチンは本棚。生み出した”ひま”のなかで、彼女はひたすらに本を読む。

菓子をつまみながら漫画を読む姿は”ひま”の謳歌・・・に見えるが、彼女がこの”ひま”の中でやっているのは絶え間ないインプット。”ひま”のなかで頭を”ひまじゃない”状態へ。外から分かりづらい、この閉じた相反する荒波で、彼女は万有引力を発見できたのだろうか。

 

トム キラン

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窓に向かって座る彼の視線を追う。向かいの建物の色鮮やかなドアが見える。

壁には2019年のALS嘱託殺人や介護に関するレポート。

振り向けば、ALS患者を演じる彼。指示棒と文字盤が私と彼を繋ぐ。

展示の終了時間間際だったが、どうしても聞いてみたい質問があったので彼に話しかけた。

以下は文字盤を介しての、彼と私の20分強の会話の記録である。*1

 

―――こんにちは。少しお話いいですか?

(頷く)

―――この4日間、窓の外の景色を見ていて、なにかを見つけたり思うことはありましたか?

(あります)

(向かいのドアのそばにモヤモヤしたものが見えて、それが怖かった)

―――それを…感じたときにすぐ、誰かに伝えることはできましたか?

(できなかった)

―――・・・。(窓の外をしばし眺める。数秒では全く変わらない景色。)

 

(あなたはALSを知っていますか?)

―――知っています。虫の瞳を観るにあたって、調べてきました。主にNHKスペシャルの記事を読みました。

(林さんを知っていますか?)

―――掲示にもある、彼女ですよね。知っています。

(林さんのSNSを見たことがありますか?)

―――NHKの記事に抜粋されているものは拝見しました。介護している人が自分の介護に来てくれた他の人に対して「ごめんね」と謝ることへの気持ち、趣味のTVでのテニス観戦のために置いた鏡に自身の今の姿が映ってしまうこと、そして筋力が衰えたことで目が開きづらくなり、いつか目が開かなくなるかもしれない、という恐怖を覚えたこと・・・・・・私は自分の目で見たものを、その光景を誰かに伝えることが好きで、たぶんそれが生きがいなんだと思うんです。だからもし私の目が開かなくなったら・・・おそらく私は死を望んでしまうのではないかと怖くなって・・・それで、最初の質問をしました。

(それがあなたの気持ちなんですね)

―――はい。

NHKスペシャルについては批判もあった。偏った目線で、多角的な検証がされていないと。)

(ALS患者はSNSで多くの情報に触れる。ストレスから、心を閉ざしてしまう)

―――人は、主観的ないきものですから、難しいですよね。・・・最近は「悲しみや苦しみはその人だけのものだから、他人がその大小を決めてはいけない、本人が決めていいんだ」と言われるけれど、それを突き通すと、この事件のようなことが起きてしまう。だからその人が選べる選択肢を増やせたらいいなって・・・。

私、人生って砂利道みたいなものだと思うんです。人それぞれに砂利道があって、そこを裸足で「痛いな、やめたいな」って思いながら進む。でもたまに、とても綺麗な石を拾って…それは自然のものかもしれないし、誰かが置いてくれたものかもしれない、それをポッケにしまって、「痛いけどもう少し進んだらまた綺麗な石があるかもしれない」と思いながらまた歩く。それが私の人生観なんです。だから、私も他の人の砂利道に綺麗な石を置いてあげられたら、人生の糧になれたらいいな、って思っています。

 

(あなたのお仕事は?)

―――あなたのお仕事・・・私のおしごと??

(頷く)

―――インフラ関係の仕事をしています。…(仕事の簡単な説明)…思えばこの業界に入ったきっかけも・・・私は文系なのでものを作ることはできないし、エンジニアでもない。でも私が関わることで、インフラが当たり前に普及して、こうやって快適な環境で、アートで表現したり楽しんだりできる余裕を社会に作れたらいいな、って・・・そう思って働いています。

 

(ありがとう)

―――こちらこそ、長々とお付き合いいただきありがとうございました。また、どこかで。

 

彼は答えそのものはくれない。情報と思考のきっかけを与えてくれる。

彼の指し示す文字を集中して追い、時に汲み取れない意図に互いにストレスを覚えながら、今度は取りこぼすまいとさらに感覚を研ぎ澄ませ、かつ同時に自分の回答も模索と構築を繰り返す。その中で私はいまの私の立ち位置を再確認し、自分にできること、ありたい姿を見つけることができた。

一方で、私ばかり話してスッキリしてしまったことについて反省している。自分の気持ちを自由に伝えられない不自由さについて質問をしたくせに、彼のそのストレスを慮ることなく、彼の話を聞くことができなかった。せめて、この会話が彼にとって光る石の欠片になれていますように。少なくとも私はこれから、久しぶりに思い出させてもらったこの青臭い気持ちを貫いて、私の仕事を全うする必要がある。

 

六角形の視界、その希望

この「虫の瞳」を見に行くにあたって、私なりに“孤立“を考えようと、提示されていた「変身」や、個人的に孤立の極みと定義している「よだかの星」を読むなどしていたが、最初の中野さんの部屋でメトロノームのリズムにのまれた瞬間、まったく見当違いの予習をしていたのだと痛感した。

 

ここで”孤独”と”孤立”の定義を確認しておきたい。

孤独

① みなしごと、年とって子どものないひとりもの。また、身寄りのない者。ひとりぼっち。ひとりびと。
② (形動) 精神的なよりどころとなる人、心の通じあう人などがなく、さびしいこと。また、そのようなさま

孤立

① 他から離れて一つだけ立っていること。また、仲間がいなく一人ぼっちなこと。他の助けがなくただ一人でいること。
② 対立するもののないこと。対応するものがないこと。主として、「孤立義務」などと法律上の語として用いられる。

※精選版 日本国語大辞典より引用

 

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私は”孤独”と早合点して虫の瞳に挑んだが、そこに展示されているのは”孤立”のほうであった。この展示を見た方々は様々な感想を持たれていると思うが、こと私にとっての「虫の瞳」は、とてもポジティブで居心地の良い空間だった。

”孤=個”が自分の足で”立”っている。

他者から離れて、分離されることは悪いことばかりではない。人間は”個=孤”の時間がないと自我を築くことができない。社会で生きていくためのその”自我”を展示していたのがこの「虫の瞳」であり、五者五様の”自我”に没入することで、いっそう自己と他者の線引きが明確になされているということに気づく。そして他者の立ち方を知れたことに、自分とはまったく異なる佇まいであることに、とてつもない安堵を感じた。

自分と他人は違う。当たり前のことだ。

星占いに血液型占い、どうぶつ占い、昨今でいえば16タイプ診断など、性格診断は定期的に流行する。私たちは自分が何者であるかを知りたがり、カテゴリに当てはまることに安心する。また多様性の概念の存在も周知され始め、個人が個人たることも肯定され、自分に向き合える人も増えた。その反動として、自己の正当性を拡大し他者に投影する、自己のものさしで他者を測りきろうとする風潮もみられる。

人は人ごとに単位がある。同じものさしでは測れない。

自分の単位はなにか、に加えて、他者の単位は何か。それを知ることがこれからの社会を”生きやすくする”いちばんの近道なのではないか。こんなに単位が違うなら、すべて自分の思い通りにいくわけないじゃん。だから知ろうとしないといけない。自分のことも、他者のことも。知って、考えて、落としどころを探していく。それが人といういきものの目指したいところじゃないだろうか。

 

知らないものを知ろうとするのは、怖い。怖いけど、知らないまま生きていくのはもっとつらい。

だから私は虫の瞳で、複眼で視界いっぱいに他者をならべて、相手の単位を知る動体視力を鍛えたい。

揺れる草むらのなかで、風に挑むように視界を横切っていく君を、見逃したくないから。

 

*1:※文字盤は基本的にひらがなであるが、読みやすさのため一部、単語による補強・変換や句読点の挿入等をしています

あなたに出会えてよかった―第12回 せんがわ劇場演劇コンクール とある一般審査員の奮闘記

2022年5月21日と22日、調布市せんがわ劇場にて行われた「第12回 せんがわ劇場演劇コンクール」に一般審査員として参加しました。

とてもとても得るものの多かった魅力的な2日間と、それに至る道のりをここに記しておこうと思います。

 

 

コンクールに至るまで

3月下旬

いきなり時は今年の3月に戻る。(私にとって)大事なことなのでここから書いておきたい。

3月某日…あの日。納得のいかないプロセスを踏んでいく公開審査、壇上から一方的に放たれる言葉、それらを観客として傍観することしかできなかった。声を上げてみたけれど、その事すらこのやるせなさに加担してしまっているのではないか、と自己嫌悪に陥った。

芸術を盛り上げるはずのイベントがこんなにも士気を下げるものならば、傷つく作り手を見ることになるのならば、それがとても苦しいと感じてしまうならば、私はいちど観ることから離れたほうがいいのかもしれない。

「観客は無力だ。」

インスタのストーリーズでそう嘆くことを選択しているダサい自分にますます嫌気がさして力なく歯を磨いていたら、画面右上に赤く通知がともる。

私はとてもパワフルな、大切な対話の相手だと思っています。あなたのエネルギーは舞台の上や奥に届いていると思います。

以前感想を書いた作品に関わっていた方からのDMだった。

思いもよらぬあたたかい言葉に、大袈裟でなくわんわんと泣いた。今も思い出してちょっと泣いてる。優しさに甘えてさらに弱音を吐いて、さらにあたたかい言葉ではげましてくださって、涙でしおしおになりながらもあと少し観客として踏ん張ってみようかな、と顔をあげることができた。

 

そんな折、せんがわ劇場Twitterアカウントで一般審査員を募集していることを知る。

www.chofu-culture-community.org

2022年5月21日(土)、22日(日)に開催する第12回せんがわ劇場演劇コンクールで、オーディエンス賞の審査をする一般審査員を募集します。

表彰式後は、ファイナリスト、専門審査員、一般審査員が参加し、直接意見交換ができる「アフター・ディスカッション」も開催します。
ご応募お待ちしています。

 

せんがわ劇場演劇コンクールとは
調布市せんがわ劇場は平成20 年に開館した調布市の公共劇場です。 

(中略)

コンセプトは「出会い」。批評の言葉、観客、アーティスト同士など、さまざまな出会いを提供し、従来のコンクール以上のコミュニケーションを目指しています。 本コンクールではとりわけ、批評の言葉を大切にしています。全専門審査員が全ファイナリスト団体について直接講評し、その後、一般審査員と参加団体も交えて講評をもとにしたディスカッションを行います。

 

要綱を読んで、観客は無力だとか、感想を直接伝えるすべもあまり無いのに消費するばかりなんだとか、そうやって弱者ぶって可哀そうぶっている私に、ゲンコツをもらったような気がした。あの日のあれが全てではないのだ。

それにあの日の審査の過程にあんなに文句をつけたんだから、私自身もちゃんと“審査する苦しみ”を味わったほうがいい。頭も心もぎゅうぎゅうに絞って考えて、全力で観客を全うしてみたい。

そう思って締め切りいっぱいまで「意気込み:200字」を練りに練り、意を決して鼻息荒く応募したのだった。

 

4月中旬

一般審査員内定のメールを受領。

「やった!内定だ!」とウホウホする気持ち2割、

ふと冷静になって「えっでも素人なのに…劇団のひとと直接ディスカッションって…」と急速にビビる気持ち8割。

先日のコンクールでの縁で相互フォローになったオジサマが前回一般審査員を務めておられたので前回の話をきいたり、頼りになる運営の方について伺ったりするなど。その節はありがとうございました。

とりあえず体力をつけたほうがいい気がする!とswitchのフィットボクシングの強度を上げた。汗だくで空を殴り不安を紛らわす日々が続く。

 

5月上旬

一般審査員むけの説明会開催。

せんがわ劇場現地での参加、Zoomでのリモート参加どちらでも可能とのことだったので、私はZoomを選択。直前まで子供を風呂に入れていたのでその辺に落ちてた服を慌てて着て説明会に滑り込む。

 

説明会では運営スタッフの紹介、当日の流れの説明、一般審査員の簡単な自己紹介、質疑応答が行われた。

オジサマからの事前情報でやんわり情報は入っていたが、メイン運営スタッフの方々は今までの本コンクールでの参加団体の方だということに改めて驚く。非常にアットホームな雰囲気。

質疑応答では、

SNSでつぶやいてもいいか?」(A:審査員をやることは呟いてもいいが、コンクール終了までは具体的な感想は控えてほしい)

Youtubeアーカイブは残るのか?」(A:権利の関係上、アーカイブは残さない予定)、

「参加団体とアフターディスカッション後も質問できる時間はとれないか?」(A:現状組み込むことは難しい、意見は来年に活かしたい)

などの質問が。

「長丁場でおなかが空きそうなので、おにぎりとかバナナを持ち込んでもいいですか?」

って質問はビビってできなかった。あとでメールで聞こうっと。そう思っていた時期が私にもありました。(←結局聞くのを忘れた)(結果として控室には持ち込んでも良かったし、お菓子やコーヒー、お茶などを用意して頂いていた。ホスピタリティ◎)

最後に運営の方から

「それぞれ贔屓の団体や俳優がいらっしゃるかもしれませんが、今回はいちど気持ちをフラットに戻して見て、審査をしていただきたい。」

との言葉。

ただの観客でもない、”一般審査員”という絶妙な立ち位置。気を引き締める。

 

 

コンクール1日目


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いよいよ迎えたコンクール当日。

寸胴いっぱいにこさえたカレーを、

「2日間これで生き延びて!じゃ行ってくるね!!」

と家族に託し、意気揚々といざ仙川へ。井の頭線京王線が別物であることに駅で戸惑う。文字が読めてよかった、案内看板があってよかった。都会の乗り物ムズカシイ。

 

霧雨の降るなか若干迷って島忠ホームズを横目にながめつつ、なんとか劇場に到着。

2階にある一般審査員の控室へ。

説明会で画面越しにお顔を拝見したみなさんと初対面。

劇場の近くにお住まいの調布市民の方から、観劇好き、年間100を超える観劇数を誇る猛者、制作や俳優として演劇に関わりのある・あった方、そして私のように勢いではるばるやってきたゴリラ、と充実のラインナップ。

聞こえてくる演劇談義をコソ聞きしたり、席の近い方とおしゃべりをしながら定刻を待つ。2日間とも同じ運営の方が一般審査員専属でアテンドしてくださるとのことで安心する。

 

12:40、全員がそろったところでスケジュールの確認とあらためて審査基準の説明。

一般審査員の任務は基本的に3つ。

  1. ファイナリスト5団体の作品をすべて観ること
  2. オーディエンス賞を決めるため、2票を投票すること*1
  3. 審査会と表彰式に参加すること

上記3点に加え、任意でファイナリスト団体とのアフターディスカッションに参加する。1日目は約5時間、2日目は約8時間強の長丁場。フィットボクシングで鍛えたゴリラは最後まで生き延びることができるのか?!膨らむ期待と緊張とともに、劇場後方の一般審査員席へ向かう。

いよいよコンクールスタート!

 

①盛夏火「スプリング・リバーブ

唐突に花キューピットで届けられる大量のラベンダー、サンリオ派vsサンエックス派の戦いの記憶、トランスフォーマーカスタムロボの話をしたい俺、なんだかかみ合わない話、から発覚するタイムリープ

時をかける少女漂流教室をメインにして襲い来る俺たちの青春。みはるさんはみくるちゃん、まるで2010年前後のニコニコ動画と見紛うかのように情報が右から左に駆け抜ける。

マーシャルのアンプ、スプリング・リバーブ…残響の中死ぬかと思った。なんとか踏ん張って生き抜いた先で見たものは、いにしえのあの真っ赤なTシャツ……

前半でばらまいた伏線をすべて回収しきって鮮やかに去る。残していったのは強烈な爽快感と、残り4団体がカーテンコールをするか気になっちゃうというとんでもない爆弾であった‥‥オープニングにふさわしい見事なブチ上げ花火。「楽しく生きる」姿はとてもパワーをもらえることなのだと再認識。

 

②ほしぷろ『「なめとこ山の熊のことならおもしろい。」』

あなたは”人ならざるもの”をその眼で見たことがありますか。

仕事を果たし、約束を果たし、命を果たしたものの美しき解脱。命をこの世に縛るしがらみをひとつひとつほどき、その叫びはいつしか歌へと変わる。それを見つめる小十郎の慟哭。それは己のしがらみを熊にも課してしまった罪悪感か、それとも先に解放された熊への羨望か。

現代人となめとこ山で生きた小十郎が行き来する。

殺傷と距離ができている私たち。資本主義のなかで生きていかねばならない小十郎と私たち。私ちは何を殺して生きているのだろう。スズランテープで作られていく山、川、くしゃくしゃの街。

その風景を見て「おもしろい」とこの作品を消費している自分に気づき、静かに去っていった彼女を思う。

 

エリア51『てつたう』

そこから漏れる光は記憶の底の光。それを見たとき私は「見つかった」と思った。

離したくなかった手、離してしまった手、ハンドルを握る手、体を這う手、幼い私の目を覆う手、触れ合うことのない挙げられた手、無遠慮に肩に置かれる手、間違う手、見知らぬ人に握られる手…すべての居心地の悪さが等しく置かれる。それは数多の「手」をしっかり”見ている”証。やさしい眼差し。

割り緞帳から深淵を覗く。その時、深淵もまたこちらを見ている。

じゃあ私が誰かを見る眼差しは?その手はこの目にどう映っている?誰かの背中にからだをあずける。誰かのからだをあずけられ、支えているのか押し返しているのか。背中合わせで誰か、が、見えない。

はたまた、私はシステムを手放せるだろうか。手放せたとして朱に染まる街を、この社会を生きていくことができるだろうか、道を作る事ができるだろうか。…私の手がいま握っているものは、このみぞおちに刺さるものは、いったい何だ。

 

転換中

せんがわ劇場演劇コンクールは完全入れ替え制。観客は1公演おわるごとにホールを出ることになる。私たち一般審査員は次の団体への転換の間、控室に戻り感想をまとめる。

手元のメモ用紙に感想をまとめてもよし、他の一般審査員と語らってもよし。

そして「作品への感想」「作品について聞きたい事」の2種のカードが配布され、感想・質問を記入して質問箱へ投函。これはアフターディスカッションでのつかみのネタとして使用するほか、後日PDFにまとめて参加団体へ渡されるとのこと。

 

1日目終了

3団体分を観劇しカードを投函して明日のスケジュールを確認したら、17:30ごろ1日目は終了。各自散会していくなか居残るしゃべり足りない数人は、あれやこれやと感想や疑問点がとまらない。

「なんで釣りだったのかな?」

「よっ友と釣り友って似てないですか?」

なんて話していたら

「よっ友、よっと、ヨット、だから釣りなんじゃない?なんて僕らは裏で話してました」

と、参加団体アテンドをしていたはずの運営の方もぬるっと議論に参加してくる。もうみんな喋りたくて仕方がない!

「ねえちょっと待って一緒かえろ!しゃべり足りない!!」

部活終わりのJKテンションでオジサマをとっつかまえ、帰りしなにもう少し踏み込んだ議論。ついでに乗り換え駅まで連れてってもらった。ありがとうございました、おかげで無事にジャングルに帰る事ができました。

 

 

コンクール2日目

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1日目とは一転、気持ちのいい快晴のなか、やっぱりまた若干迷って島忠ホームズを横目に見ながらぐるっとまわって劇場へ。なんで2日とも同じ道通って間違っちゃったんだろう…

11:00、控室に用意していただいたお茶やコーヒーをいただきながら、昨日書きたりなかったカードを書いたりおしゃべりをしながら開演を待つ。

 

④安住の地『アーツ』

趣味:美術館めぐり、観劇、音楽鑑賞

プロフィールに並べられがちなこの言葉を、もう軽々しく使えなくなってしまった。

卓越した感性、技術、魂の叫びが呼応する。その息づかいは命の灯火。「楽しい」から波紋のように広がり発展して産み落とされた“アート”を、“消費”することしかできない私。解説をよんでふうん、とわかった気になる。勝手に点と点を結んで悦に浸る。それで本当に、アートから私は何かを受け取れているのだろうか。

筆を持ってみる。私自身からは何も湧いてこない。ならばせめて、せめて彼らの生き様を覗かせてはくれまいか。わからないかもしれない、共感できないかもしれない。でもその生きた証をこの手のひらで確かめさせてくれないか。それは私が、生きるために必要だから。

 

⑤階(缶々の階)『だから君はここにいるのか』【舞台編】

消された台詞、消された登場人物。

俳優が次の役を生きていく一方、消された登場人物は作品という世界にどう存在しているのか。

居るはずだった自分が登場しない世界。ならば消された俺の存在意義はなんだったのか。

板の上にあるもの、そして板の上にのらないもの、すべて必要で必然。チェーホフの銃、を染み入るように体感した。ふたりのハッピーエンドを願ってやまないラブストーリーのように、ベッドサイドで読み聞かせてもらうおとぎ話のように、そこに居ないはずのだれかの幸せを祈る。私はきっとこれから、金色の缶を手にとるたび彼に思いを馳せるのだろう。

 

転換中・終演後

回を追うごとに口数が少なくなっていく一般審査員たち。というか私。一番うるさい私が黙るからめっちゃ静か。糖分補給しようとお菓子をいただいたけど、どんな味だったか正直記憶にない。

立て続けに5本も見ると、否応がなしに各作品の秀でているところと課題が明確にみえてきてしまう。しかもその長所短所がぜんぶベクトルが違うので、単純に比較することができない。

完成度が高かったのはあの作品、惜しかったけど可能性をとても感じるのはこの作品、自分に一番共鳴したのはその作品…どれも良くて自分の手持ちの2票をどこにどう入れようか。ただの観客ではなく、”審査員”という肩書きの重さもじりじりと呼吸を浅くさせる。

運営の方への質問もよりマニアックなものになっていく。応募総数は?照明のつくりはどの程度要望をひろうのか?上演順はどう決めるのか?というコンクールへの質問から、昨今の演劇のフトコロ事情や運営のむずかしさについても。参加団体のコンクールまでの道のりの解像度が上がる。

 

全作品へのカードを投函し終えたところで、一般審査員ひとりひとりの所感を述べていく。

どれが好きだったか、どんな基準で投票しようとしているか、オーディエンス賞はどうあるべきか……

みんな考えも好みも違っていて、改めて芸術作品を評価する難しさに胃がねじ切れそうになる。

「演劇は並べて比較することはできない。自分の好みをどうロジックで正当化させるか、なんですよ」

最後に語られた方のこの言葉がすべてだと思った。腹をくくって自分の好みを、この生々しい感覚を組み上げていくしかない。

 

投票

全員が話し終えたらいよいよ投票。

目の前には投票箱。覚悟を決めて二枚、書く。

「これってもうお客さんの分は入ってるんですか?え、じゃあ私たちが投票し終えたらすぐ開票?ここで?!ヒエーーーッ!!」

日常生活で「ヒエーーーッ!!」って叫ぶことあります?

私は年甲斐もなく叫びました。

だって表彰式で発表されるものだと思うじゃん!ここで開票なんて!待って心の準備ができてない!

 

開票

投票箱をひと混ぜして、開票。

開票がすすむたび息をのんだり、吐いたり、うなったり。

増えていく正の字、高まる心拍数。

すべて開票され、オーディエンス賞が目の前で決まった。弾けるような拍手。すごい、決まった!!

自分の予想・投票通りだったひと、そうでないひと、様々だったと思うけれど、妙な解放感や達成感と高揚感。

表彰式で発表するから結果はまだ黙っててくださいね、と念を押され、しばしの休憩へ。またみんなで結果の感想をやいやいと話し合う。時刻はすでに15時、プレッシャーで食べれていなかったおにぎり弁当をぎゅう、と詰め込む。美味しい。やっと食べ物の味がする。

 

表彰式

15:30、ホール観客席に参加団体と一般審査員、壇上に専門審査員があつまり表彰式開始。なお全作品およびこの表彰式はYoutubeで生中継された。

 

オーディエンス賞:安住の地『アーツ』

まずは観客の投票により決定したオーディエンス賞から。

エンターテインメントとして完成度の高かった安住の地『アーツ』がオーディエンス賞受賞!おめでとうございます!!安住の地にいっぱい大きな拍手を届けられてうれしかった。

 

講評

ここから専門審査員の方々による講評タイム。各作品につきひとり2分ずつの講評がおくられる。

みなさん誠実に、的確に、なにより愛と期待でいっぱいに言葉を紡いでいて、講評をききながら早くも涙腺のバルブがゆるみ始めてしまう。

とても印象的だったのは、長田さんから階へむけたことば。作品を観て、自分が演劇をはじめたばかりのころ…がらんどうの講堂のカギを開けた時のことを思い出した、と。それは専門審査員としては私的すぎる言葉なのかもしれないけれど、胸いっぱいの感情を伝えようと語られるその姿を見て、なんかもう、勇気を出してここに来てよかったと、本当にそう思った。今このホールは演劇への愛で満ち満ちている。

 

講評が終わると、各賞の発表へとうつる。

 

俳優賞:瀧澤 綾音(ほしぷろ『「なめとこ山の熊のことならおもしろい』)

丁寧に織られた演技の瀧澤さんが受賞。

体調不良で表彰式を欠席されていたので、ほしぷろの星さんが代理で表彰状を受け取る。壇上で同士の受賞を膝をガクガク震わせて喜ぶ星さんをみて、ついに涙腺が決壊。マスクして泣くと、あとあと顔が大変になるから我慢しようと思ってたのに。うう、うう、おめでとうございます。

 

劇作家賞:神保 治暉(エリア51『てつたう』)

発表と同時に上がる雄叫び、ガッツポーズ。

鼓膜と網膜がそれをとらえた瞬間、文字通り泣き崩れてしまった。講評の時点で胸いっぱい、よかったよかったと思っていたけれど、かながわ短編AWでの講評に真摯に向き合い「てつたう」をつくり、それがしっかり花開いて受賞に至るという、のが、とても誇らしくて嬉しくて、、とても報われました。いや私が何をしたわけではないんだけれども。

この2日間は一般審査員としてなるべくフラットに、エリア推しであることはいちど脳みその外側に置いて挑んでいたため急に私的な感情がドワッと押し寄せてきて、しっかり泣いた。ああ、よかった。おめでとう、ありがとう!カンパニーみんなで作り上げたというテキストの評価がとても高かったので、台本販売を鼻息荒く待っています。

 

演出家賞:星 善之(ほしぷろ『「なめとこ山の熊のことならおもしろい」』)

スズランテープや養生シートでつくられる自然や街、都会や大自然の映像などで神々しい画を作っていた星さんが演出家賞を受賞。俳優賞のときとちがってちょっとあ然としながら壇上にあがり、でも「メンバーみんなで作り上げた作品だからみんなの賞です」と熱く語る星さん。とても良い創作環境だったんだろうなあと、壊れた涙腺から放水が止まらない。

 

「ねえ!涙とまんないんだけど!!」と隣の方の肩をポカスカしてしまう私に「あなたがマジメだからですよ」と言葉をかけてくれて、その優しさにありがてえと思いつつ、でも違うんです、情緒が原始的なだけなんですと呻きながら必死に目頭を抑える。

 

グランプリ:階(缶々の階)『だから君はここにいるのか』【舞台編】

脚本・演出・演技すべてで匠の技が光っていた階がグランプリ受賞!おめでとうございます!!

弾けるような拍手のなか、劇作の久野さんが来年このせんがわ劇場にて【舞台編】【客席編】の2編を上演することを宣言。颯爽と締めくくる姿がとても格好良くって、作品への間違いない自信やこれからまだまだ発展していく予感を感じさせられた。

 

アフターディスカッション

表彰式が終わり記念撮影のあと、アフターディスカッションのため参加団体が待つ楽屋やミーティングルームへ向かう。

今回のアフターディスカッションは各部30分ずつの二部制。事前に希望の参加団体を第3希望までアンケートで聞かれ、運営により2団体へ割り振られる。見た感じ、みんな希望の団体に行けていたように思う。

「あーーーー緊張するう!」と何度か壁に刺さりながら、私はエリア51の待つミーティングルームへ。

 

第一部:エリア51

ファシリテーターに専門審査員の高田さんを迎え、第一部がスタート。

若干(どうする、どうする?)な手探りの雰囲気のなか、観劇後のパヤパヤした頭で私が投函したウルトラ級に抽象的な質問が一番に引かれてしまい、非常に申し訳なかった…早々に自分の質問だということを申告し、補足説明というか弁解というかただのお気持ち表明のようなオタクムーブをしてしまいとても反省している。叶うならもう一回やり直したい。

ほかに「照明づくりはどうやっていますか?」「男女の逆転した役の演じ分けは何に気をつけましたか?」などの質問カード。一般審査員控室で出た議論などから質問意図を補足したり、さらに個人的に聞きたいことを重ねたり。

面白かったのは冒頭の割緞帳はどうやって調整したのか?という話。緞帳の制御は秒数で。どのくらい緞帳を開くかは和室の稽古場でふすまを使って「これじゃ見切れちゃうね」なんて言いながら練習したとのこと。

そして「てつたう」で印象的に使われていたコンタクト・インプロビゼーションについて。出演されていた熊野さんがちょうどコンタクト・インプロを習っていたので、やってみようとなったと…てっきり全員経験者だと思ってたけど違うらしい。それで「やってみよう」でできるもんなの?!と白目をむいた。「体幹レーニングとかたくさん練習したよね~!」とニコニコ語るみなさんが眩しくてしかたない。あのなめらかな動きを実現するために相当練習したんだろうね、と観劇後に一般審査員控室でも話題になっていたけど、たぶん私たちの想像の百倍くらいは練習されてたんだろうな…

さらにあのコンタクト・インプロはガチガチに振り付けが決まっているわけではない、という事も驚き。1~10まで細かく決めているのではなく、1・3・5・7・9…と要所だけ決めてあり、その間はアドリブのように、その日のコンディションで繋いでいくので毎回違う、と。まさに「てつたう」の体現だな、と感服した。

最後に劇作・演出の神保さんから「作品を見てどう受け取ったか、何を思ったか聞かせてほしい」との質問。ここでも主観的直観的に話してしまい、自分の語彙力のなさに冷や汗をかきながら、「覚悟を問われた気がした、そして考えの異なる隣人への自分の視点にも気づいた」という事を…伝えたつもり……伝えたかったんです……

ちょっと場が温まってきたぞ!という頃合いで第一部終了。あっという間だった、もっと3時間くらいほしい。

となりの方が「あっなんであのシーンは釣りだったのか聞くの忘れた…」と小さく呟くものだから、「今聞きなよ!もうこんな機会ないよ!」とたきつけ移動直前に駆け込み質問。神保さん、最後まで丁寧にお話ししてくださってありがとうございました!

 

第二部:ほしぷろ

ほしぷろさんの待つ楽屋の扉をおそるおそる開ける。

「すごい、楽屋ってほんとに女優ライトあるんだあ!」と安直な感想を飛ばしつつ、第二部スタート。ファシリテーターは養生シート演出をベタ褒めされていた長田さん。

第二部ではその場にいる一般審査員の聞きたいことを書き出して質問していくスタイル。

まずは原作未読の方からの、どこまで原作でどこからオリジナルなのか?という質問。原作ガチ勢の私と未読の方の受け取り方が異なっていることなどが話題に。

また、タイトルを原作の「なめとこ山の熊」ではなく「なめとこ山の熊のことならおもしろい」とした理由は?との質問。答えを聞く前に、見てる側はどう考えた?と各々語り、ここでも色々な解釈が存在することにわくわくする。ちなみに私はこの作品を見て「おもしろい」と思って消費している自分自身が面白いな、と感じていた。対する答え…このタイトルに至る経緯は「仮題は『小十郎』だった、でもメンバーで話しているうちに小十郎をやりたいのは自分(星さん)だけだということに気づき、話し合いを重ね、ならばキャッチ―なひとことめをタイトルにしようと思った」とのこと。

印象的につかわれた養生シート演出の誕生秘話や、スズランテープの意図、投影された映像についてなどの質問も。殺生と距離のあることを語るシーンでのビルの映像と、山のシーンでの自然の映像は同じ街で撮影したと聞きふり幅に驚いた。あとあのピンクの熊ちゃん(ダイソー出身)は2代目で、初代は映像に出てきたあの子だというのもマル得情報だった。

いいなあ、と思ったのは福島での公演のお話。

劇中で使ったLED、もともとは「街の光」としていたが、福島での公演で「これ、磐越道」とアドリブで言ってみたところ、観劇してた子供たちから「磐越道はそんなにピカピカじゃないよ!」と声がとんできて、そのとき「じゃあ首都高にしよう」と今回の台詞に至ったとのこと。双方向の演劇というコミュニケーションの賜物だなあと感動した。観劇した子供たちが「おもしろかったあ!」と言ってたけどどう受け取ってるのかな、と穏やかに語っていた星さん。自然の中での公演はとても素敵だろうな。私も子供と一緒に、風を感じながら三角座りでほしぷろさんの作品を見てみたい。

 

よっしゃノってきた!という頃に第二部も終了。もっと時間ほしい!駄々をこねつつ、このシーン好き!あのシーンも!と拳を突き上げながら楽屋を後にしました。お騒がせしてすみませんでした。。

 

帰りの会

ディスカッションを終え、ホールへ集まる面々。

ディスカッションどこ行ったの?どんな話が出た?ねぇこの後ラーメン食べに行かん?…と解放感からおしゃべりが加速する。おなかすいた。全員がホールに戻ってきたら、最後の締めの会がはじまる。

まずはそれぞれの団体のディスカッションでどんな話題が出たか、というフィードバック。自分が参加したところ以外のお話を議事録かなにかでいただけないか?と要望を出していたので、それに応えて頂けて大変うれしかった。安住の地の衣装は絵画モチーフだって!うわー最の高じゃん。そして後日デザイン画を安住の地さんが公開してくださってこちらも最&高。

そして運営スタッフさんも含め、各団体の告知タイム。

「明日小屋入りです!」

「僕も明日小屋入りw」

「諸々の申請が!とにかく!大変で!!」

など、ホールに響く思いの丈にホカホカ笑う。

締めの締めは企画監修を担当された徳永さんのお話。毎回改善を図り、コミュニケーションを大切にしているという本コンクール。試行錯誤で心を砕いてこられたことを感じてまたちょっと涙腺がゆるみそうになる。

時刻は19時すぎ。会としては締めるけど、会場は20時まで開けておくのでその間はお好きにどうぞ、とありがたい配慮。これもできれば最後に質問タイムが欲しいと事前に出した要望のひとつだった。

後ろ髪をひかれつつ立ち上がったタイミングで、表彰式を欠席されていた瀧澤さんが到着。急きょ瀧澤さんに表彰状をお渡しすることに。やんややんやの大拍手、文字通りの大団円でコンクールは幕を閉じたのだった。

 

アフター

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「暗い!夜だッ!!」

「せっかくだから劇場の写真とろう!暗い!」

良い感じの解放感で、暗いだけで楽しくなってしまっている私。

女子三人連れだって、ラーメンではなくて美味しいパスタ屋さんに連れてってもらい、「せっかくだから贅沢しちゃおう」とエビやらチーズやらのトッピングを追加する。

アフターディスカッションの感想とか、演劇を愛する人しかいない最高の空間だったねなど2日間のあれこれから、人生どう生きていくかの話に発展し、最後は一人ずつちょこちょこと抱えてるものを白状し大笑い。「それもっと早く言ってよ!」なんてツッコミをいれながら連絡先を交換した。濃厚な時間を過ごした2日間のおかげで友達できたよ。これ書き終わったら、教えてもらった現代サーカスをしっかり見るね。ツアーの会場でも会おうね。

 

特典

参加5団体の観劇・アフターディスカッション・表彰式出席・新たな友との出会い…と、これだけでもお腹いっぱいな一般審査員ですが…

なんとさらに!

今回のグランプリ・オーディエンス賞の受賞公演への招待も特典としてついている!

どうだ羨ましいだろう!!!私はもう来年の現場が決まっているのだ!!

受賞公演は来年の5月最終週~6月の頭にかけて上演される。ちょうど先週に昨年分の受賞公演があり、見に行った人の感想を見て嫉妬で奥歯を割りそうになっているけれど、私にだって来年の受賞公演が待っている…!

来年観ることができるのは安住の地「アーツ」階(缶々の階)「だから君はここにいるのか」【舞台編】&【客席編】。バックグラウンドの書き込みがかなり深そうな「アーツ」、今回は上演のなかった【客席編】も控える「だから君はここにいるのか」、どちらもまた大きな情緒変動でカロリーを使いそう。しっかり心を鍛えてガチムチゴリラとなって、またこの仙川の地に戻ってきたいと思います。

もちろん受賞公演のチケットは一般発売もあるよ!ぜひ劇場で心を震わせてほしい。

 

さいごに

まず何より、本コンクールの運営に携わった全ての方に感謝します。

事前説明会から当日まで、丁寧なアナウンスや動線の確保、スケジュール管理等をしてくださったおかげでストレスなく一般審査員に没頭することができました。質問や要望にもほぼ全て応えてくださりありがたかったです。通らなかったお願いは「Youtubeアーカイブ残せませんか?」くらいじゃないかな。本当に本当にありがとうございました。

 

せんがわ劇場も素敵な劇場だと思いました。

駅から近く、公園や商業施設などの生活のなかにポンっと存在していて、このコンクールをはじめ様々なワークショップや催しも多く、まさに「開かれた劇場」だと感じました。一般審査員の控室として使わせていただいたミーティングルームも光が入る明るい場所でとても快適でした。DEL=Drama Education Laboの取り組みも魅力的。私、生まれ変わったら仙川の子どもになりたい。

 

そしてともに一般審査員を務めたみなさん。

ややタメ口でいきなり話しかける私につき合ってくださって、本当にありがとうございました、お騒がせしました。ふだん孤独に観劇したり配信を見たりしているので、観た直後にみなさんと新鮮な感想を言いあえてとても楽しかったです。また来年せんがわ劇場でお会いできるのを楽しみにしています。

 

 

家に帰ってきて、あの時こうすればよかった、もっとこう伝えればよかった、コミュニケーションってむずかしいな、ウホホ……とバナナを食べながら反省したのですが、それと同時に血がめぐって体がほくほくする感覚もあり。

コロナ禍で思うように人に会えなくなって、大好きなライブや舞台も形が少し変わって、作り手の方々が苦しむ姿も見えて、でもそんな中私は作品を受け取ることができてとてもありがたい、はずなのに、なんだか視界が狭くなる気がしていた2年間。ひそかにやっているnoteに病みポエムを投稿するなど、いじけてジャングルでアリ塚をほじくっていた私にとって、このせんがわ劇場演劇コンクールは強烈なショック療法のようでした。舞台「 カモメ」観劇時には、このまま死にたくないけどどうすればいいかわかんない、置いていかないでなんて駄々をこねていた私ですが、この2日間で華やかな場・それを支える愛・産みの衝動・続ける苦労を目の当たりにして、”観る人”としての自分の立ち位置を確認することができました。きっとまた「私は作品を消費してるだけ」とか「観客は無力だ」とかアリ塚に指をつっこむ時もあるだろうけど、それも私のお家芸としつつ、「作りたい衝動」に「観たいという衝動」をぶつければいいんじゃないの、と雨上がりの仙川の風のにおいをかぎながら、素直にそう思えたのでした。

私はまたしばらくのあいだ、家族と生活の遂行を優先する者にもどります。

毎日タイムラインに流れてくる興味をそそる公演の感想や、現場に行きたいけれど配信で見るしかない公演に落ち込むこともあるけれど、私、観劇がすきです。せんがわ劇場演劇コンクールで、観客としての自信をちょっとつけることができました。

月並みな一言だけど、本心からの言葉で締めます。

あなたに出会えて、よかった!

 

 

*1:全作品を鑑賞されたお客さんは1票なので、倍の票を持つことになる。2票とも同じ団体へ投票/1票ずつ別の団体へ投票 どちらでも可。

生きるも死ぬも、自らの手で。 Anonymous Gods

神に何を祈ろうか。

 

明日いい事がありますように。

ごはんを美味しくたべられますように。

美しい木漏れ日を浴びられますように。

あたたかい布団で眠れますように。

 

あなたが、幸せでありますように。

 

 

サラサ

美しくあることを求められ、応えようと努力し、美しくあり続けた。しかし世間も母親も彼女の美しさに答えてくれなかった。恋人も「きれいだよ」と声をかけることもなかった。

だから彼女は自らの手で美しく人生の決着をつけようとした。運命のDIY。生き続けなければならない、という呪いからの脱却。

他人を通してではなく、自分で自分を愛して美しく幕をひいた彼女の最期は幸せだったと思う。美しさは散る瞬間の画ではなく、フレームの外にある。彼女の美はフレームの外で生き続ける。

 

ナオ

大切なものを大切にすること、を大切に生きてきた。

自分が大事にされなかったから。

でもそれを他社に投影せずに、自分の傷を自分に刻み続ける。大切なものは大切に、自分の棘で傷つけないように、だから距離をとる。サラサが求めた愛の形とは違っていたけれど、ナオはナオの理論でサラサを愛して大切にしていた。

一方自分自身に対しては自罰的で、負の連鎖を自分で断ち切らんとばかりに自身に刻む。でももう彫るところがない…永遠の痛みに限界を感じ始めた頃にアオイが現れ「新しいカンバスを」、と腕を差し出す。サラサとは対象的に、ナオは他人を通して自分を愛することを知る。

 

カスミ

世界の幸せの形が、この子に当てはまるだろうか。

世界に愛されなかった(と感じている)サラサに出会うことで、これから産まれてくる命が出会う世の中の不条理に、そして不条理が引き起こす(かもしれない)結末に気づいてしまった。自分が「かわいそう」な側にいて、それ故にこの子が不条理に出会う機会は「ふつう」より多いのかもしれないことにも気づいてしまい、この子の幸せは「産まれてこない」ことなのではないか、と。

感受性の強い彼女は揺らぐ。反出生主義的な迷いを抱えたカスミは、アオイの言葉で「フレームの外」に向けられる。ぎゅっと絞った焦点のその外側がきらめいていることを思い出す。

 

アオイ

彼女については、何を書いていいのかわからない。今という社会を生きる上で、アオイは私にとっての理想だ。

カスミを愛して、彼女の才能を愛して、オフィスごっこなんて揶揄されながらも彼女との幸せのために働いて、色々なものを飲みこんで。

「わたしたちはこの社会よりもマシ、かわいそうじゃないよ。」

この言葉を言えるまでに、言うために、彼女はどう生きてきたのだろうか。

様々な理不尽や不条理のなかから、美しいものを見つけ出す。大切にする。当たり前のことだけど、社会や日々に揉まれるなかで人はその煌めきをすぐ忘れてしまう。なぜこんな石ころを拾ったのかも忘れてしまい、手放してしまう。

でもアオイは丁寧にそれを磨き続けている。硬い黒い石のすきまからのぞく光を信じて磨いて、ざらついた岩石を美しい宝石に磨き上げて、それを他者と共有する。ひとに見せられたがたついた原石も「もう見たくなーい」とぼやきながらも尊重する。

アオイの根底にはとてつもなく深い慈愛がある。きっと社会や理不尽や不条理に絶望しながらも、あきらめずに愛そうとしているのだと思う。タトゥーを彫りにいったのも、産まれてくる子への誓いというか、十月十日のふたりぶんの血の巡り、陣痛のかわりを刻もうとしたんじゃなかろうか。

 

アオイをみていて、「親に求められるもの」ってなんだろうとも考えた。両の親がそろうこと?それは必須条件じゃない。母性と父性がそろうこと?それも男と女でなくたっていい。“母“性・”父“性と冠がついているけれど、必要とされるのは性的区分ではなくてきっと愛情の要素のことだ。そこが揺るがなければ、どんな家族のかたちでも「かわいそう」なんかじゃない。

 

フレームの外を愛するために

「生きづらさ」という言葉が散見されるようになった。今まで誰かの快のために犠牲になっていた人たちが声をあげるようになった。

生きづらい、いやだ、という声はさらにネガティブな反応も生む。捻じ伏せんとする波の重さにまた息ができなくなりそうだ。

 

濁流にのまれ流された地を裸足で歩く。尖った石で足の裏は血だらけ、いっそ歩くのをやめてしまおうか。そう俯いた先に微かなきらめき。それを丁寧に拾い握りしめて、また歩きだす。道の先にはまだいくつもの光がある。

 

そうやって生きていけたら。

いつかあの濁流も、皮膚を破る石ころも愛せるだろうか。


どうやったらそんな生き方ができるのだろう。

アオイと話がしたい。

私も彼女に、優しくされたい。