マカロニ。

おたく魂をぐつぐつ煮込んで

ファンタジーにさよならを。NEWS LIVE TOUR2020 "STORY"

結局、”圧倒的リアル”とは何だったのだろうか。

 

アルバムを聴いたときは、彼らの内臓を握らされた気がした

待ちに待ったライブでは、成仏できた気がした。

でも”圧倒的リアル”とは何だったのか、なんとなくふわふわさせたまま日々を過ごしていた。

 

 

 

通常版には千秋楽の名古屋公演が特典として付属している。これを見てやっと、私は彼らの言う”圧倒的リアル”をやっと理解できたような気がする。

 

 

ライブのクライマックス、2度目の「STORY」を3人は向いあって歌う。4部作の衣装に身を包んだJrを従え、NEWS・Jr・ファン・関わってきた人たちすべての物語を背負い、その重さをものともせずせり上がる。盆の上は3人の世界、覚悟と喜びと確信を湛え歌いあげる。*1あまりの気迫にこの世のものとは思えなかった。あれを見てしまったらもう、もう私たちも引き返せない。

「この4部作を終えたら、もうひとつ上のステージに行ける気がした」

まっすーのこの言葉にある「ひとつ上のステージ」に行けた瞬間が、まさにこの千秋楽クライマックスのSTORYだったと思う。

 

NEVERLAND、EPCOTIA、WORLDISTAで丁寧にファンタジーを紡いだあとの”圧倒的リアル”=STORYはファンタジーと隔絶されたものではなく、前3作の地続きにあるもので、NEWSが”真の偶像”となるための儀式だった。それが、STORYに課された”圧倒的リアル(化))”だった。

6人が4人になって悲劇性が売りだった時期、悲劇を拭いファンタジーを武器にした時期、そして今、それらをすべて背負ったまま、真に偶像として、偶像のリアルさを武器に歩き出している。

 

また振り返ってみれば、NEWSのファンタジー性を担っていたのは手越君だったように思う。常人離れしたルックス、きゃしゃな骨格、まっすぐに伸びる声、キャッチーな強がり。彼がいたからファンタジーの説得力が増したし、彼の存在そのものがNEVERLANDでたいまつを持った理由でもある。

でもWORLDISTAあたりで少しずつ同じ方向が向けなくなっているのも感じていた。もしコロナがなくて違う世界線があったとしても、STORYが彼にとって区切りになってただろうことは変わらないのだろうな、とも思う。リアルを生きていくのは苦しい。君も私も。でもどうか健やかで幸多き道であることを、心から祈っている。

 

 

 

咲き誇るシロツメクサを踏まないように足先でよけながら歩く。

先を行く3人は時折こちらを振り向きながら進み続ける。

この先が荒野だなんて言ったやつは誰だ。

足裏に伝わる緑の柔らかさ。

踏まれたくらいじゃもう、彼らも私たちも折れないよ。

 

*1:覚悟:シゲ、喜び:慶ちゃん、確信:まっすー