深淵を渡る ―加藤シゲアキの連続する螺旋
加藤シゲアキは、ソロ4作でどう生きたか。
曲とライブでの演出で、彼の人生を紐解いてみたい。
あやめ ―無垢な救世主の誕生
決して空想 夢想の彼方
曲中に4回登場するこのフレーズは、出てくる度にその意味合いが変わってゆく。
決して(=きっと)空想 夢想の彼方(なのだろう、あなたとの愛の人生は。)
(でも)今だけは そばにいて 離さないで
主人公である”僕”は”あなた”を愛している、でもその愛が世界に認められるものではないと半ば諦め、せめて今、あなたがそばに居る今だけはと刹那的な感情で詞を綴っている。
街では灯りが揺れている、僕とあなた以外の人々の生活が、コミュニティが、淡々と続いている。目覚めの鐘の音…何かが変わろうとしているのに、まだ誰もそれに気づいていない様子だ。でも僕には聞こえる。あなたの歌う声はこの街では雨音に流されてしまう、でも鐘の音とともに”僕”の中に無垢に染み入り巡っていく。
決して空想 夢想の彼方
今だけはキスしてよ 世界は光の地図を求める
だから僕は生きていく
はじめの「決して空想 夢想の彼方」とニュアンスはほぼ同じだ。刹那的で、”僕”と”あなた”のぬくもりにフォーカスされている。しかし”僕”の目線は”あなた”から少し外れる。街の雑踏から離れ鐘の音に導かれるように、光の地図…”僕”と”あなた”の理想郷を探すことに己の生の意義を見出し始める。
ここでつづられる”世界”とは、「僕とあなた」。このぬくもりを確かめられる、街の隅の小さなこの世界。それを守るため、光の地図は無いかと”あなた”に抱かれながら思う。
紙で切れた指先の痛みのように、誰しもが経験していても、他人には完全に伝わり切らない不自由な疼き。”僕とあなた”/その他の人は100%理解し合えないことを胸に刻む。でも人の機微は簡単に線引きもできない。いま自分が持つこの感情だって、見ている景色だって、自分ですらはっきりと定義することは不可能だ。”わからない”、がちらばる世界。生きていくには荒野のように厳しすぎる。それでも”僕”は”あなた”と歩いていきたい。
ここが荒野であるならば、せめて”僕”と”あなた”の歩く道は自分たちの手で彩っていこう。与えられるラベルはいらない。与えられる定義もいらない。今この瞬間の色を塗りこめ、踏みしめ飛ぶ。”あなた”の手のぬくもりが僕の色だから。
決して空想 夢想の彼方(などではない。)
(これから進み続けるから)今だけはキスしてよ
世界は光の地図を求める そして僕は生きていく
”僕”は夢想だろうと思っていた”あなたとの愛”の道を創る覚悟を決める。「そばにいて、離さないで」と受動的だった”僕”が、”あなた”の一歩前を進みだし虹を駆けあがる。この「世界」は「僕(+あなた)」、幼気に歌う”あなた”の手を”僕が”引く。
”僕が”あなたを必要としているから。
”僕が”あなたを愛しているから。
だから”あなた”も踏み出してほしい、きっとこの先は美しくなるはずだから。
虹の頂点で”あなた”に、世界にそう訴えかける。
消して嘘 感傷よ 放て
どこまでも
啓示だろうか。
なぜかこの言葉を前から知っていたような気がする。
決して(どんなことがあっても)空想 夢想のあなた(などにはしない)
今だけはキスしてよ
世界は心の奥底にある だから僕は生きていく
先を歩む者としての覚悟。荒野には無かった光の地図、ならば己が地図となろう。
気付けば虹を駆けあがった”僕”の周りには様々な者がいた。淡々と生活を重ねていたように見えた街の人々も、複雑なグラデーションの中でもがいている。
虹を歩いてく
七色の光を手に、”僕”は世界の蜘蛛の糸となる。
生まれたばかりの無垢で美しい蜘蛛の糸を求め伸びる数多の手。その全てを救わん、と
”僕”は呼吸を始める。
氷温 ―理想の失敗、自己と他の分離
あやめの”僕”は、”僕”と”あなた”を同一視している。
”僕”が愛しているから、”あなた”も僕を愛しているから、”愛し合っている”から、「僕=あなた」なのだと。”僕”と同じ思いで虹を歩んでいるはずだと。
しかし人は人である以上、完全に同じ存在にはなりえない。
氷温は、それに気づくのが少し遅れてしまった”僕”の物語。
鏡ごしの君 知らない顔をしてる
多数の照明で縁取られた”君”…女優ライト、のような化粧鏡に映る”君”は”僕”の知らない表情。もう見つめ合うこともない、視線は合わない。鏡ごしでしか君を見ることができない。
昨日見た夢を 話しかけてやめにした
どんなに魅力的な夢を見ても、その面白さは当人にしかわからない。言語化した瞬間に味気なくなる「昨日見た夢」。紙で切れた指先の痛みは伝わらないものだと思い出し、”僕”と”君”が他人であることを痛感し口をつぐむ。”僕”と”君”の間に線が引かれていることを自覚する。
終わりを知りつつも諦め切れていなかった”僕”。夢の話をして君の気をひこうとしていた。ライムの香りでそれに気づき落ち込む。溶けてゆく氷がとめられないように、もう結末へのカウントダウンは始まっている。
Don't Believe in me
君を愛して 嘘重ねて 終わりなら
”君”を愛することは、嘘をつくこと。”君”を引き留めたくて偽り続けた。でも本当の”僕”を見てほしい、本当の”僕”を愛してほしい。”僕”の嘘など信じないでほしい。でもそれでは”君”の手はつなぎとめられないジレンマ。「消して嘘」と立ち上がったはずなのに、”君”と歩くには嘘を重ねていくしかなかった。”僕”の理想はどこにいってしまったのか。
Don't believe in me
あのとき”僕”を希望だと信じて縋ってきた者たちは、今の情けない”僕”の姿をどう見るのだろう。
君の熱の鈍さが へばりついて落ちないままで
もしも二度と会えないのなら 月明りで抱きしめて
君の熱の鈍さ…肌を重ねてはっきりと分かる気持ちの差がぬるく刺さって抜けない。嘘ではない、僕の最後の願いも君には届かない。
ドアの音 せめて聴かせて
僕のもとまで届かせてくれよ
きっと、目が覚めたらもう”君”はいなかったのだろう。”君”が去っていくその背中すら”僕”は見ることを許されなかった。もしかしたら、”僕”が昨日見た夢の話をしようとした”君”も、”僕”の記憶の中の”君”だったのかもしれない。
”君”に手渡されたハイヒール。きっとあれは”君”が告げた最後の言葉。”僕”はその言葉の本意が未だわからないでいる。
手にしたハイヒールを見つめ、考える。
わからない。
”君”をわかろうとしてハイヒールを履いてみる。
わからない。
最後の手がかりが欲しくて、”僕”は”君”が見ていた鏡を覗き込む。
氷温
そこに映るのは、”僕”の姿だけ。
世界 ―自己との対話、そして、再生
この手に情けない生き様を握りしめ
誰にも託せぬ夢ばかり
手に入れたかった色彩はどこへ
いつしかぐらつくレゾンデートル
あやめ、氷温のダイジェストかのような歌詞。
手に入れたかった色彩…求めていた光の地図も、かつて希望であろうとした自分自身の存在意義も見失ってしまっている。
振り返るには浅い人生を
愛おしいながらも嘆く毎日
しかしその過去が全てマイナスだともとらえていない。氷温での別れも、その後にあったであろうあれこれもフラットに受け止めている。冷静に自分を肯定する。過剰な悲観もしていない。
一体あれはなんだったのか
半径数メートルの距離も保てないまま 強くあれと誓い立てる夜
空の向こうのルリビタキと、ごく近くの人間関係すらままならない自分。理想と現実の距離の遠さを認めながらも己を鼓舞する。理想郷を探そうとして、最愛の人と道を違え、身近な人との距離感にも手間取る現実。
どこかで生きてる誰かに悩んで
どこかで生きてる誰かに頼って
どこかで生きてる俺も誰かで どうすりゃいいの
世界の蜘蛛の糸になるどころか他者に悩んで頼って、自分も特別な存在なんかではなくて、他者を救うなんてこともできないのではないか。
ただ、理想が消えたかといえばそうではない。己の熱さは健在だし、誰にも託せぬ夢として心の底でじわじわと燃え続けている。
求めていたのは愛じゃなかったか
求めていたのは夢じゃなかったか
求めていたのは魂じゃなかったか
かつて自分が歩きだしたきっかけは何だったか。光の地図はどこにあったか。
世界はここにある
貴様が世界だ
Narrative ―シン化と真理
途切れそうな心電図、意識がもうろうとする男。
”世界”の底へと潜り、綴り続けた者。原稿用紙のコートに袖を通し、自ら物語をまとう。
白雪の上 羽ばたく残像
ヤドリギの夢 どこまでも遠く
ヤドリギとは、樹木の枝に丸く球のように寄生する常緑の半寄生植物。寄生した木が落葉しても、ヤドリギは青々と茂る。
しかしヤドリギは、その実を鳥に運んでもらわなければ遠くへは行けない。冬も飛べるルリビタキと、枝に絡まり動けない自分。未だ遠くにある理想と、わずかな時間しか残されていない自分。世界は心の底にあるはずなのに手が届かない焦りから、彼は神へと語りかけながら世界の要素を拾い集めていく。
Narrative—
がくり、と落ちる頭に反し滑らかに動く左手。
委ねた瞬間に生まれたSTORY 不意に閃き突然変異に恋し
ペンを握る手を動かすのは己の意地か、それとも神か。
「あなたの風になりたい」
彼を救おうとする神の声がささやく。デウス・エクス・マキナ…神の
手で万事解決されるようじゃ面白くない、でも自分の感覚ももうどこにあるのか…まあいい、気のすむまで叫んでやろうじゃないか。
”あなた”と過ごした日々、”君”との別れ、己を見つめ直した日々、すべてが意味を持ち手元を照らす。傷ついても左手は動き続ける。
白雪の上、ルリビタキを目で追いながら、確実に”何か”を書き残そうとしている。残された時間と命を投げうって叫ぶ。
もてあます衝動 語り尽くせる者
その目で見たものを ひたすらに解き放て
未完成ながらも重ねた日々を綴る。狭間に居る者たちが彼にすがる。救われんとするのか、彼の衝動にひきよせられているのか。その者らをも取り込み、物語を吹き込み、ページのひとひらとして展開していく。その姿は人を超えたなにかになりつつある…人々に命を与える神のように。
”シン化”した彼は振り向いた先で、おそらく「真理」を見た。
そして穴におちていく。
神に近づき過ぎて堕とされたか?
否、きっと神は真理を知る者として、彼に世界を託したのだ。ラグナロク後の世に生き返り人々を導いた光、バルドルのように。
穴の底で、彼は目覚めの鐘の音を聴く。傍らの幼気なぬくもりと共に。
螺旋
STORYでNarrativeを見たとき、この穴の底はあやめにつながっていて、彼は円環のなかに居るのだと思っていた。でも自分の中で彼の後追いをしていくうちに、彼は円環の中にとらわれているのではなく螺旋を上り続けているのではないか、と考えるようになった。
確かにNarrativeで何かを見た男は穴へ落ち、あやめの世界に戻る。でもそれは100から0に落ちるのではなく、新たな真理に出会ったから落ちたのではないか?リスタートではなく、純粋なプラス1の世界、のスタート。
人の価値観は日々変化する。新たな価値観も生まれる。それに名前がつくまで、知るまでの時間はとても苦しい。それに気づいて自ら立ち上がる事ができるか。わかり合えなかったときに、わかろうとしたか。己の立ち位置を見つめ直すことができるか。自分を信じることができるか。
加藤シゲアキのソロ4作は、価値観のアップデートのさまを描いたものではないだろうか。
トライ&エラーを繰り返し、そのたびに立ち上がり走り転び、何かを掴んでまた試す。他者と生きていくにあたりこの作業は1度では終わらない。その螺旋は果てしなく先も見通せないけれど、自分も他人もより良く生きる上では絶対にあきらめられない道だ。
倒れても、また一段上へ。私と、あなたとで生きる世界。
その世界を諦めない背中を、私はこれからも追い続けていたい。