「女ME」によせて
エリア51演劇公演、原案:アントン・チェーホフ、作・演出:神保治暉の「女ME」を配信で見ました。
かもめは知ってた、知ってたのに見終わったあとものすごいクソデカ感情を食らってしまい、もう今日はずっと「女ME」のことばっかり考えてる。この抱えておくにはあまりに大きな初期衝動をここに吐き出しておく。
※IGTVでの配信1回ぽっきり、台本もnoteも読めてないので引用するセリフ・解釈に誤りがあるかもしれませんが、ご容赦を。
※以下、「女ME」役名/原案役名/役者名(敬称略)にて記載。
言葉、それは人そのもの
イク/アルカージナ/土屋いくみ
「母親である前に、ひとりの人間よ!」
みんな大好き”強い女”。
女優として身を立て、息子を育て、実績を残し、世間を騒がす。
皆のあこがれの強い女性。
強い彼女だからこそ、息子のカドタにも同じ業界人として”対等”もしくは”先輩”として接している。それも彼女の愛情表現*1であったことは間違いないのだが、悲しいかな”子宮に戻りたい”カドタが求めていたそれとは異なっていた。
たいしたことない自傷行為のあとをかいがいしく手当したり、「ママのこと好き」という言葉にデレてみたり、出産ビデオをスマホに保存して息子誕生の瞬間を見返したり、彼女にも絡みつく”母親”は確かに存在した。でも冒頭の引用セリフのように、「母である前に一人の人間」である彼女は、カドタの子宮回帰を許すことはなかった。それが息子の死の間際でも。
アキエ/ポリーナ/植木広子
「あたしはあたしを生きたいだけなの」
普通の主婦。繰り返す閉塞的な日々、今が自分にとって最適な状況でないことだけは自覚している。抜け出したい、でもどうすればいいかわからない。自分では動けない、だから他者に縋る。
登場人物のなかで、いちばん「ふつう」に見える。
引用したこのセリフは至言。誰だってそうだ。誰だって自分を自分として生きていきたいだけ。でもその方法がわからない。
本作の一つの解、「忍耐」という意味では一番ズバ抜けた才を持つのは彼女かもしれない。変わらない日常に身を置き、夫ではない男の子を産み、関係を続け、炎に巻かれた夫の死を不倫相手に縋りながらなく。強かな、普通の、女。
マエザワ/ドールン/ボブ鈴木
青春だなあ。
自分が可愛くて、ズルい大人。カドタの葛藤を「青春」の一言で片づけられちゃうくらいに酸いも甘いも見てきていて、他者と自己の線引きが一番しっかりしてて、他者からの干渉を避けることで自分を守る。
でもそのくせ、カドタの失敗した戯曲を「ヤバい!エモい!スーパースター!」なんて軽薄な言葉で称賛したり、
「運命は変えられますから」
とアキエに水素水をぶっかけたりして他者に干渉しようとする。
「人の使命が次の世代に何かを残すことなら、俺は…」
アキエとの娘を自分の実子であると公にできないうしろめたさ、ミシマやカドタ、イクやノゾミのように、何かを残すということができない己のコンプレックス*2を、怪宗教をはじめとした他者への干渉で打ち消そうとしているのかもしれない。運命を変えられることを、信じて。
コモリ/メドヴェージェンコ/福田周平
彼が自分・他人を測るものさしはお金や名声。自己評価がすっごく低くて、気持ち悪いことしちゃうくらいにユノが好き。
前時代的で、面倒くさくて、でもチャーミングで憎めない。
彼についてはおそらく、前々作「家KA」、前作「喪MO」で多くの事が語られたのだろう、「女ME」ではあまり深くは掘り下げられない。しかし、
「…待ってます。」
ユノに向けられたこの一言で、全身に鳥肌が立った。
彼を知るために、「家KA」と「喪MO」が見たい。
ミシマ/トリゴーリン/原 雄次郎
「俺には自分の意思が無い。愚図で軟弱でいつも人の言いなり。
こんなんじゃ、誰かを守ってやることなんで出来るわけがない。
俺は守ってくれる人から離れちゃいけないんだ。」
売れっ子作家として「書く苦しみ」にさいなまれ、自分の作品を好きになれない、常に暗中模索。でも目に映る美しいものに手をださずにはいられない無邪気さ。ノゾミのことはさっさと捨てたくせに、ずっとイクのそばにいたのは自分の愚図さを自覚したことと、その無邪気さからイクに子宮回帰を許されたからだ。
ミシマは無邪気にクズだ。
魅力的なものはすぐつまみ食いする。飽きたら捨てる。カモメのはく製、すなわちノゾミにときめいたあの瞬間のことだってこれっぽちも覚えてない。最低だ。
でも彼には忍耐の才がある。自らを渡り鳥であると自認し、居場所を探すことができる。だからノゾミも彼を愛した。愛してしまった。
カドタ/トレープレフ/門田宗大
「ねえ俺を見て!俺を見てよ!」
自己肯定感に背反する自身のアウトプット。
やりたい事と需要と才能の不一致。
ミシマに奪われた母と恋人。
もう終わり、もう終わりだ……世間にウケる、”新しいっぽいこと”をいくら書いても承認欲求は満たされない。彼が求めるのは母の子宮で光を見ることだ。
「向き合おうよ!会話!キャッチボール!」
向き合ってカドタがしたかったことは、自分を見てもらうこと。ノゾミに見てもらえればそれでよかった。
カドタとノゾミの「向き合っていたい」はともに自分がゴールで、経路が違ったんだな
— まろまゆ (@maromayu2427) 2021年7月8日
カドタは向き合ってノゾミに見てほしかった、それが自分を生かす術だった
ノゾミは向き合って他者の目を通して世界を見たかった、それが自分を作る術だった
#女ME
最期、彼は彼の言葉に火をつける。言葉は、人そのもの。
原作のピストル自殺よりも、自身に火を放つ本作のほうが何倍もむごい。
「言葉、言葉、言葉…書けば書くほど、悲しくなる」
ノゾミ/ニーナ/高田 歩
「気持ちに塗る薬は気持ちしかない。」
「才能は死の前では無力、生き続けることが一番の才能なんだ」
自分で、自分の選択肢を削って削って削って、過去の自分を正当化するために生きる。
「カドタくんといると安心する、でも愛してるのはミシマなの」
愛してるのはミシマなの。愛してるのはミシマなの?愛してるのは、愛したいのは、ミシマを愛した過去の自分?
「みんな違う言葉で話すんだよ!もう疲れた、私を振り回さないで」
可能性を削って、他者とのコミュニケーションを削って、これでいい、これを選んだから、だから耐えるんだ、忍耐こそが才能なんだ。
自身の言葉に火をつけカドタを屠ったのはカドタ自身。
でもノゾミがカドタを蹴り飛ばしたあの時に、カドタの死は決まってしまった。「サヨナラまで2cm」、引き金をひいてしまったのはノゾミだ。
それをも気にすることなく、過去の自分の背中を押しに行く。それでいいんだ、いいんだよ、と。
「愛してる、違いも含めて全部。わたし、燃え尽きるまで生きなくちゃ」
少女/原作登場せず/山崎まりあ
「あの人を救いに。」
ストーリーテラーとされる”少女”。
「家KA」「喪MO」を見ていないので、過去作の彼女の立ち位置がわからないけれど、私には少女が”観測者”に見えた。
少女はたびたびノゾミに干渉する。
「記憶は変わらない。でも意味を変えることはできる。」
しかし少女の尽力むなしく、ノゾミはカドタを突き放す。
「逃げないで!あなたの物語なんだよ!
救う命があると分かってて、どうして目を背けようとするの!」
これまでの淡々とした口調とは打って変わった、懇願にも似た悲痛な叫び。
そう、あくまでこれはノゾミの物語。
観測者として干渉できるのはわずか、木槌を振り下ろせるのはノゾミだけ。
「そうか、あの子が救えるのは他人じゃなく自分。
…過去の自分を救って、シーンを渡っていたんだね」
「家KA」「喪MO」の世界線で彼女は何を見てきたのだろう。
「女ME」の世界線に何を賭けてきたのだろう。
飲み物=人は摂取するものでできている
本作は”飲み物”が重要なファクターになっている。
まだまだ子供のノゾミとカドタが飲むアイスミルク。
理想の大人が投影されたミシマが飲むブレンドコーヒー。
混ざりあうミルクとコーヒー。
”社会適合者”たちが飲む地酒・ビール・甘酒。そこにカドタは加わらない。
イクがカドタに要求した水。
ノゾミがカドタに要求した水。
カドタがノゾミに手渡したのは、緑茶だった。
ノゾミとイクで揺れるミシマは、二人をそれぞれシャンパンと赤ワインに例える。
アイスミルクを飲むノゾミが、ミシマにはシュワシュワのシャンパンに見えるのだ。
そしてシャンパンと赤ワインをそれぞれ「飲んでみる」。
このシーン、めちゃくちゃ気持ち悪くて最高だった。
女と男
「男とか女とか、子供とか大人とか、そういう名札がないと言葉が喋れないの?」
「あたしはあたしを生きたいだけなの」
「母親である前に、ひとりの人間よ!」
本作の女性は、とても”強い”発言をする。
一方、
「女性は強いなあ」
「金を稼ぐのは父親、愛情は母親でしょう。」
本作の男性陣は非常に前時代的なセリフを発する。
これは女のほうが意識が高いとか、進んでるとかいうことではなく、男性にも強い呪いがかかっている、ということだと感じた。
からまる光とロープ
脚本も演技も凄くよかったのに加え、演出とロープアートもとても良かった!
光の演出ひとつで部屋が、場所が、時間が、時代が一瞬で変わる。
中央の子宮をかたどったであろうロープアート、絡まりあう布とロープ、地続きで絡まってでも広がりのある空間がとても素敵。現場でも見たかったなあ。ひごろ日光とLEDくらいしか浴びない生活なので、直にあの照明をあびて湖のほとりに連れて行ってほしいな。
蛇足。
これは私が勝手に点を線にしてしまってるだけなんですけど‥‥
「かもめ」を3文字に分解してるところとか、
「向いてる向いてないじゃない、やるかやらないか」
「愛するということは、同じ方向を向くということなんだよ!サンテクジュペリ!」
「探すね。どうせ灰になるなら、そこがたとえ私ひとり生きる荒野だったとしても、
…そこにあなたがいなかったとしても。」
ちりばめられたワードに、どこか一緒に駆け抜けたNEWSの臭いがするような気がして、なんか同じ釜の飯よりもっと原始的な…なんだろう、「同じ土食ってきたよな、俺たち!」みたいなものを勝手に感じてしまいました。
私がステージから受け取っていたもの、彼がステージで感じていたもの、それがこんな形で新たに世にアウトプットされる、なんか、感慨深くなってしまった。私はいつも受け取るばかりだな。NEWSも、はるはるも、すごいな。
「女ME」、本当に凄くて、一日ずっと「女ME」の事ばかり考えてた。前2作も見たいな。アーカイブあるんだっけな、調べてみよう。
そして冬には劇場公演もあるとのこと!!
かもめがどんな旅をするのか、ぜったいにぜったいに見届けるぞ!!!