マカロニ。

おたく魂をぐつぐつ煮込んで

六角形のレンズで君を見る ―エリア51「虫の瞳」―

帰りの満員電車で、よろけた拍子に後ろの人の足を踏んでしまった。

「ごめんなさい!すみませんでした」

「大丈夫ですよ、イテテ…」

からだとうらはらの言葉が返ってくる。更に謝ろうとしたけど彼女は電車を足早に降りてしまった。

 

電車から降りようとする白杖の方を介助しようと、「おう、」と男性が腰に手を回す。危害を加えられたと勘違いした白杖の方が男性の首を絞める。

「ちがう!ちがうって!」

蜘蛛の子が散るように、人が離れる。

 

うらはらの言葉、やり場のない謝意、優しさが伝わらない選択、自ら遠ざけてしまった好意。

 

虫の瞳に映すべきものとは。映したいものは…

ギャラリーで目の当たりにしたものと、目の前の光景が万華鏡のように脳裏に広がる。あの居心地の良さと、目の前の居心地の悪さの差はいったい何だ?

 

 

虫の瞳

"孤立"を考えるパフォーマンス・アート

グレゴール・ザムザはある朝、

目が覚めると虫になっていた。

これまで家計を支えてきた布地販売員の

仕事は断念せざるを得なくなり、

生活は一変する。

伝わらない言葉 周囲と異なる身体 続く命

その「孤立」は絶望にしか繋がらないのか。

――――「虫の瞳」特設サイトより引用

 

野志

f:id:maromayubanana:20220628192448j:image

カチカチとメトロノームが拍を打つ部屋で、カプセルで手遊びをしている。カラーボール、スリンキー、花札など数々のおもちゃがジョイントマットに散らばるさまは、さながら彼女の中のいちばん奥の、幼児的な好奇心を現したよう。

部屋に足を踏み入れるといっそうメトロノームが響く。まるで彼女の体内に潜り込んだかのように。私の気配を察した彼女はおもむろに脈をとり、メトロノームを整える。

f:id:maromayubanana:20220706170305j:image
新たな拍のなかで、彼女は鍵盤ハーモニカのチューブで囲ったなかからカプセルを取りあげた。カプセルの中には小さな脳。カプセルを拾い上げ、回したり投げ上げたり、カラカラと振り、耳をつけ何かを感じようとしている……席を移動した私の足跡を目で追いまた脈とメトロノームを合わせる………そしてまた興味深げに、そして遠慮なく脳カプセルをくるくる回す。

ひとしきり脳カプセルを堪能した彼女はこちらの床に目を向け、狙いを定め、勢いよく転がす。ちらばるおもちゃにひっかかるカプセルもあればマットを越え壁や私の足にぶつかるものもある。その様子を時に満足気に、時に物足りなさそうに眺める。お手玉をしていて手から弾け飛んでいってしまった脳カプセルは、諦めの目線がちらりと向けられ彼女の興味から外れる。

f:id:maromayubanana:20220628194057j:image

足もとに転がってきた脳カプセルを手にとってみる。それを振ると、なるほど、カラカラという音に反してゴロンゴロンとした不規則な手応え。カプセルの角度によって、刻まれた脳溝も様相を変える。メトロノームの拍のなかで、しばらく私も脳カプセルに見入ってしまった。

f:id:maromayubanana:20220628194849j:image

ひとつのカプセルの脳が割れている。割れてしまったのか、割ってしまったのか。

カプセルを無邪気に愛おしそうに手に取る表情、こちらの気配に少しの戸惑いを見せメトロノームを整える首すじ…そこに「人間は好き、人付き合いは苦手」そうな彼女の心音を聞いたような気がした。

他者の脳を見たい。知りたい、感じたい、理解したい。あのひとの脳に自由に触れられたら。感じることができたなら。彼女のうぶで幼気な欲望のリズムに、私の鼓動も同期を試みる。でもきっと彼女は、私に彼女の鼓動を計られるのを嫌うだろう。ふたたび、彼女の指は頸動脈へと伸びる……それでも私は知りたい、あなたの脳をカプセルに入れてこちらへよこしてよ。私のも差し出すから。あなたのメトロノームと私のメトロノーム、それぞれのモノリズムは美しいポリリズムと成りうるか。

 

高田歩

f:id:maromayubanana:20220706164457j:image
カーテンをくぐると薄暗い部屋。

青いライトに照らされ、壁にぴったりくっつく箱の中に彼女はいた。

隣の部屋のメトロノームの音がすこしくぐもって聞こえてくる。青い光と彼女が身に着ける水中眼鏡も相まって、まるで水の底にいるようだ。

箱に貼られているのは彼女の書いたことば。

f:id:maromayubanana:20220706170223j:image
f:id:maromayubanana:20220706164618j:image

「逆立ちをしたら、おならとはちがう空気がでた。あれはなんだったんだろう」

「背中のゴリゴリが痛い」

「おしりが冷たくて困ってる。おしりが冷えるとからだの10cm内側が冷えたような気がする」

メトロノームより少し遅い心拍数」

「首があったかい 手があったかいのか?触れた感じだとこんな感じ」

「目をつむると三角のなかに三角。また三角。次はキラキラ。」

「右のかかとががんばっている」

「息がしやすくなってきた。でも呼吸に意識を向けると苦しい」

「足の甲がかゆい。なにも当たっていないのになぜ。」

f:id:maromayubanana:20220706164707j:image
箱の中で、時に自分が書いた言葉を見上げながら自分の身体をひたすらに観察している。その観察対象の身体は、身体の奥深くのこともあるが、どちらかというと「外界と接している身体、その反応」にひたすら目線を向けているように感じた。

差し込む光、隣から聞こえてくる他者の心拍数、床や壁から返される力。自分ではないものに触れている身体。箱に閉じこもり自分を見つめることで、外界と自分のにじみを探る。

f:id:maromayubanana:20220706164831j:image

「地面 冷たい。」

パンプスを脱いで、床に直に触れてみる。

炎天下を歩いてむくんだ足に心地よい感触。彼女と同じ床に触れているのに、私と彼女の受け取る感触、求めるもの、返されるものとはきっと違う。別の個体としての私と彼女が接するこの外界も、触れてくる個体の数だけ見せる顔があるのだろう。

貼り付けたことばを見つめながら、彼女が一枚服を脱ぐ。より肌で外界との自己の摩擦を観察するために。

 

神保治暉

部屋を走りまわる電車たち。f:id:maromayubanana:20220706165313j:image

近くに歩み寄り耳を澄ます。

机の上でひとりめぐる電車は、カフカ「変身」で虫に成り果てた主人公の”グレゴール”のセリフを、部屋を右往左往に走り回るふたつの電車はグレゴールの“家族”とそのほかの登場人物のセリフを吹き出し続けている……グレゴールをなるべく見ないように生活にあくせくする家族。家族に“ないもの”とされ逡巡するグレゴール。

床いっぱい走り回る二つの電車の視界にはぐるぐるとあがく電車は見えておらず、彼らは時にガガガと車輪を鳴らしながらレールを滑り降りる。高低差のあるレールは複雑な胸中のみだれのよう。

壁を見上げれば、彼のPCの画面が大写しになっている。「変身」の一場面、にグレゴールか彼の心情か、「変身」にないものが書き足される。

f:id:maromayubanana:20220706165412j:image
この部屋は唯一外につながる扉が解放されていて、走り回る汽車の音に交じってほのかに街の喧騒が生ぬるく侵入してくる。しかし彼はそのすべてを“ないもの”としている、“ないもの”、というか、“きにしないもの”にしている。彼はそれらに対してプリンターからテキストを吐く。

f:id:maromayubanana:20220706165652j:image
外界との通信手段も充電という行為にかこつけて伏せられている。

f:id:maromayubanana:20220706170132j:image 

 

f:id:maromayubanana:20220706165523j:image

吐き捨てられたマスターベーションの成果物を持ち帰ることを許された私たち。“ないもの”にされた彼が“きにしないもの”とした私たちに“あるもの”を残す。腹に落ち切らない矛盾さの中で紙を拾った。
f:id:maromayubanana:20220708164504j:image

窓ガラスで夏の暴力性をろ過したやわらかい光の中で自慰にふける。私たちはそれを見ている。その成果物を握らされる。

鮮明に聞こえていたグレゴールの声、ここからでは数多の反響に混ざり聞き取ることができない。聞こえないから気づかないフリ、わからないから見ないフリ、アンタッチャブルだから見ないフリ。見ないフリをすれば、”ない”ことになるのか?

手にした紙が、「否」と唱える。

 

山本史織

f:id:maromayubanana:20220709231236j:image
この部屋は、においがした。

登校前に友だちの家まで迎えに行って玄関で待っているときのような、よその家のあさごはん、生活のにおい。

f:id:maromayubanana:20220709231428j:image

本来料理をするべき場所であるキッチンには様々な資料や画材道具。「ただしい手の洗い方」の掲示には容赦なく写真がかぶせ貼られている。

f:id:maromayubanana:20220709231514j:image
f:id:maromayubanana:20220709231540j:image

スナック菓子、カップ麺、ティーバッグのでがらし、インスタントのお味噌汁、レトルトのパスタソース、シリアル・・・”食”に関する労力や手間をほとんど排除。生活のにおいがするのに、そこに生活の要素は薄い。

ニュートンはひまじゃなかったら 万有引力を発見したか」

――――「虫の瞳」当日パンフレットより引用

f:id:maromayubanana:20220709231627j:image
f:id:maromayubanana:20220709231659j:image

彼女は生活への手間を排除し、意図的に”ひま”を創出している。ファストな食事、枕元にあつめられた衣服や装飾品、いつでも寝転がることができるベッド、外の世界を流しつづけるラジオ、脱ぎ捨てられた靴下。

見渡せば無数のコラージュ、キッチンは本棚。生み出した”ひま”のなかで、彼女はひたすらに本を読む。

菓子をつまみながら漫画を読む姿は”ひま”の謳歌・・・に見えるが、彼女がこの”ひま”の中でやっているのは絶え間ないインプット。”ひま”のなかで頭を”ひまじゃない”状態へ。外から分かりづらい、この閉じた相反する荒波で、彼女は万有引力を発見できたのだろうか。

 

トム キラン

f:id:maromayubanana:20220709231743j:image
窓に向かって座る彼の視線を追う。向かいの建物の色鮮やかなドアが見える。

壁には2019年のALS嘱託殺人や介護に関するレポート。

振り向けば、ALS患者を演じる彼。指示棒と文字盤が私と彼を繋ぐ。

展示の終了時間間際だったが、どうしても聞いてみたい質問があったので彼に話しかけた。

以下は文字盤を介しての、彼と私の20分強の会話の記録である。*1

 

―――こんにちは。少しお話いいですか?

(頷く)

―――この4日間、窓の外の景色を見ていて、なにかを見つけたり思うことはありましたか?

(あります)

(向かいのドアのそばにモヤモヤしたものが見えて、それが怖かった)

―――それを…感じたときにすぐ、誰かに伝えることはできましたか?

(できなかった)

―――・・・。(窓の外をしばし眺める。数秒では全く変わらない景色。)

 

(あなたはALSを知っていますか?)

―――知っています。虫の瞳を観るにあたって、調べてきました。主にNHKスペシャルの記事を読みました。

(林さんを知っていますか?)

―――掲示にもある、彼女ですよね。知っています。

(林さんのSNSを見たことがありますか?)

―――NHKの記事に抜粋されているものは拝見しました。介護している人が自分の介護に来てくれた他の人に対して「ごめんね」と謝ることへの気持ち、趣味のTVでのテニス観戦のために置いた鏡に自身の今の姿が映ってしまうこと、そして筋力が衰えたことで目が開きづらくなり、いつか目が開かなくなるかもしれない、という恐怖を覚えたこと・・・・・・私は自分の目で見たものを、その光景を誰かに伝えることが好きで、たぶんそれが生きがいなんだと思うんです。だからもし私の目が開かなくなったら・・・おそらく私は死を望んでしまうのではないかと怖くなって・・・それで、最初の質問をしました。

(それがあなたの気持ちなんですね)

―――はい。

NHKスペシャルについては批判もあった。偏った目線で、多角的な検証がされていないと。)

(ALS患者はSNSで多くの情報に触れる。ストレスから、心を閉ざしてしまう)

―――人は、主観的ないきものですから、難しいですよね。・・・最近は「悲しみや苦しみはその人だけのものだから、他人がその大小を決めてはいけない、本人が決めていいんだ」と言われるけれど、それを突き通すと、この事件のようなことが起きてしまう。だからその人が選べる選択肢を増やせたらいいなって・・・。

私、人生って砂利道みたいなものだと思うんです。人それぞれに砂利道があって、そこを裸足で「痛いな、やめたいな」って思いながら進む。でもたまに、とても綺麗な石を拾って…それは自然のものかもしれないし、誰かが置いてくれたものかもしれない、それをポッケにしまって、「痛いけどもう少し進んだらまた綺麗な石があるかもしれない」と思いながらまた歩く。それが私の人生観なんです。だから、私も他の人の砂利道に綺麗な石を置いてあげられたら、人生の糧になれたらいいな、って思っています。

 

(あなたのお仕事は?)

―――あなたのお仕事・・・私のおしごと??

(頷く)

―――インフラ関係の仕事をしています。…(仕事の簡単な説明)…思えばこの業界に入ったきっかけも・・・私は文系なのでものを作ることはできないし、エンジニアでもない。でも私が関わることで、インフラが当たり前に普及して、こうやって快適な環境で、アートで表現したり楽しんだりできる余裕を社会に作れたらいいな、って・・・そう思って働いています。

 

(ありがとう)

―――こちらこそ、長々とお付き合いいただきありがとうございました。また、どこかで。

 

彼は答えそのものはくれない。情報と思考のきっかけを与えてくれる。

彼の指し示す文字を集中して追い、時に汲み取れない意図に互いにストレスを覚えながら、今度は取りこぼすまいとさらに感覚を研ぎ澄ませ、かつ同時に自分の回答も模索と構築を繰り返す。その中で私はいまの私の立ち位置を再確認し、自分にできること、ありたい姿を見つけることができた。

一方で、私ばかり話してスッキリしてしまったことについて反省している。自分の気持ちを自由に伝えられない不自由さについて質問をしたくせに、彼のそのストレスを慮ることなく、彼の話を聞くことができなかった。せめて、この会話が彼にとって光る石の欠片になれていますように。少なくとも私はこれから、久しぶりに思い出させてもらったこの青臭い気持ちを貫いて、私の仕事を全うする必要がある。

 

六角形の視界、その希望

この「虫の瞳」を見に行くにあたって、私なりに“孤立“を考えようと、提示されていた「変身」や、個人的に孤立の極みと定義している「よだかの星」を読むなどしていたが、最初の中野さんの部屋でメトロノームのリズムにのまれた瞬間、まったく見当違いの予習をしていたのだと痛感した。

 

ここで”孤独”と”孤立”の定義を確認しておきたい。

孤独

① みなしごと、年とって子どものないひとりもの。また、身寄りのない者。ひとりぼっち。ひとりびと。
② (形動) 精神的なよりどころとなる人、心の通じあう人などがなく、さびしいこと。また、そのようなさま

孤立

① 他から離れて一つだけ立っていること。また、仲間がいなく一人ぼっちなこと。他の助けがなくただ一人でいること。
② 対立するもののないこと。対応するものがないこと。主として、「孤立義務」などと法律上の語として用いられる。

※精選版 日本国語大辞典より引用

 

f:id:maromayubanana:20220709231956j:image

私は”孤独”と早合点して虫の瞳に挑んだが、そこに展示されているのは”孤立”のほうであった。この展示を見た方々は様々な感想を持たれていると思うが、こと私にとっての「虫の瞳」は、とてもポジティブで居心地の良い空間だった。

”孤=個”が自分の足で”立”っている。

他者から離れて、分離されることは悪いことばかりではない。人間は”個=孤”の時間がないと自我を築くことができない。社会で生きていくためのその”自我”を展示していたのがこの「虫の瞳」であり、五者五様の”自我”に没入することで、いっそう自己と他者の線引きが明確になされているということに気づく。そして他者の立ち方を知れたことに、自分とはまったく異なる佇まいであることに、とてつもない安堵を感じた。

自分と他人は違う。当たり前のことだ。

星占いに血液型占い、どうぶつ占い、昨今でいえば16タイプ診断など、性格診断は定期的に流行する。私たちは自分が何者であるかを知りたがり、カテゴリに当てはまることに安心する。また多様性の概念の存在も周知され始め、個人が個人たることも肯定され、自分に向き合える人も増えた。その反動として、自己の正当性を拡大し他者に投影する、自己のものさしで他者を測りきろうとする風潮もみられる。

人は人ごとに単位がある。同じものさしでは測れない。

自分の単位はなにか、に加えて、他者の単位は何か。それを知ることがこれからの社会を”生きやすくする”いちばんの近道なのではないか。こんなに単位が違うなら、すべて自分の思い通りにいくわけないじゃん。だから知ろうとしないといけない。自分のことも、他者のことも。知って、考えて、落としどころを探していく。それが人といういきものの目指したいところじゃないだろうか。

 

知らないものを知ろうとするのは、怖い。怖いけど、知らないまま生きていくのはもっとつらい。

だから私は虫の瞳で、複眼で視界いっぱいに他者をならべて、相手の単位を知る動体視力を鍛えたい。

揺れる草むらのなかで、風に挑むように視界を横切っていく君を、見逃したくないから。

 

*1:※文字盤は基本的にひらがなであるが、読みやすさのため一部、単語による補強・変換や句読点の挿入等をしています