マカロニ。

おたく魂をぐつぐつ煮込んで

とけない、とかさない、とけない。

厚さ13cm。

サンシャイン水族館のメイン水槽:サンシャインラグーンが湛える240tもの水量を支えるアクリルガラスの厚み。目の前にたゆたう、触れることができそうな水生生物たち。しかし彼方と此方ははっきりと、13cmの隔たりがある。彼らのためにも、私のためにも。

 

とけない

人の中には感情がある。感情、の2文字ではすまない、矛盾もふくめてがんじからめの想い。堰を切って流れ出したらとまらない。流れ出した水は濁流になり大事なひとをのみ込んで、どろどろの泥濘しかのこらない。そんなことになりたくないから人は想いを水槽のなかに閉じ込める。傷つけないように、傷つかないように。

 

隣の芝は青く見える。となりの水槽も煌めいて見える。

ただ芝と違って、となりの水槽に飛び込むことはできない。せいぜいできたとして水槽同士をくっつけるくらいだ。でもそうすると、隔たりの厚さは倍になる。とけないその厚みが、とけない誤解を生む。

アクリルガラスに映る自分の顔。捕食のすがたは悪魔の形相。でもひとは私を天使だという。となりの水槽はまぶしい。その光を捕食する私は、私は。

淵でじっと時の流れに耐える。でも時は流れるものではなく堆積するものだ、だから美しいのだと突如飛び込んできたタイ焼きは言い、「また明日ね」、と言い残し泳ぎ去っていった。なんども流れゆく「また明日ね」を聴きながら、やっぱり時は流れていくんじゃないか、ならばこの流れにのせて大海原へあの子をゆだねなければ。そしてこの淵で、私はひとり。

寄り添っているつもりだった。ともにたゆたい、いずれは同じ星屑になると思っていた。しかし足りないぬくもりを求めて彼女に触手をからめていただけだった。墨色の残像の感触。おいていかないで、大きくなって私も泳がなきゃ、大きくなるために、食べなくちゃ。

 

それぞれのとけない誤解。でも絡まってとけない視線。会うたびに説けないことがふえていく。

 

ユカが見た夢。

大水槽を前に「大人スゲー!」とはしゃぐユノとアイ、を遠くから見ているユカ。ユカには2人がどんどん先に進んでいるように、大人になっているように見えていた。実際のところ2人は「大人なりたくねー!」と叫んでいたのだけれど。

「いっしょに来たかった」

というセリフが「いっしょに生きたかった」にも聞こえて、星屑のような群れの中で脈打つことに憧れつつも、選択肢が多いが故に動けなくなってしまったユカの息苦しさがひたひたと伝わってくるラストシーンだった。

溶けあえなくても、鮮やかなマーブル描きながら生きていけばいいんだよ。と言えるようになるためには、きっと彼女たちにはもう少し時間が必要。夢ではなく、いつか大水槽を3人そろって眺められる日が来ますように。

 

そのほか諸感

光への衝動を抱くアイをとても魅力的に、くっきりと演じていた佐藤日向さんがとてもよかった。「人付き合いは苦手だけど、人間は好き」というアイのキャラクターをモノローグ・クリオネ・ユカユノとの距離の詰め方で丁寧にメリハリよく演じていて、佐藤さんのこともアイちゃんのこともとても好きになりました。一方、アイが出てくるまでのユカ・ユノの関係性が若干のみ込みづらく*1、序盤はセリフを取りこぼさないように耳に集中しなければいけなかった。アイのキャラクター像が圧倒的光属性(陰キャコミュ症だし、行動は裏目に出るし、大学で挫折して中退するし、自分の過去の行いはやはり悪魔だったと絶望するけど、生きていくことに関してはタフで根アカなので)なのに対し、ユカユノは無限・有限の絶望担当としてどこか自分を殺さないといけない&互いこじらせた愛情を持っているので、材料を序盤に全て出すわけにはいかない部分もあったのかな。現場だとその空気感も掴めたのかもしれない。

 

私は劇場でお芝居を観るという経験しかしたことがなかったため、本公演のように劇場以外の場所で行われるお芝居は面白いなと感じた。芝居のことなど気にせず存ぜぬで漂うクラゲの存在や、劇場とは異なる響きをするセリフや演奏は実際に体感してみたかった。もともと演劇は街の広場で行われていたものだし、今後もこのような劇場ではないところで、日常と地続きの場でのお芝居が増えてほしいし、触れてみたい。*2

 

今回は特典付きの配信チケットを買ったので、メイキングもたっぷり見れて嬉しかったし、このあとパンフとブロマイドが届くのも楽しみです!首を長くしてまってるよ~~

*1:めっちゃ仲良し!にも見えないし、腐れ縁というには材料が足りない

*2:もちろん劇場も大好きなのでいっぱい行きたいし配信劇ももっと見たい