マカロニ。

おたく魂をぐつぐつ煮込んで

8月12日は実家に帰ってイチゴ食べてた

お題「NEWS15周年コンサート "Strawberry" memories」

 

帰り道、「こりゃ記事にしづらいだろうな~」なんてことをぼんやり考えた。

あの場はマスコミが期待していた『涙の再出発!』でも『過去との決別!』でもなんでもなく、彼らと私らが、実家の縁側で「お~、天気なんとかもったね」なんて空を見上げながら、思い出と今と未来の話をしながらのんびり苺をつまむ、盆の穏やかなひと時だったからだ。

 

突飛な演出はないものの、練りに練られたセットリスト。

「最近こんな仕事したんだ。過去にはこんなこともしたし、今振り返れば昔の自分はあんな事考えてた。そしてこれからも、頑張ろうと思うんだよね。」

15年、あるいはその内の数年・数か月・数日を見守り、追いかけ、時に叱咤した幼馴染のそんな語りを聞くような構成だったし、色々気にしていた私らを安心させるような、あー大丈夫だね、元気で良かった、って思わせてくれる、互いの存在を確認しあうような、そんな時間。

 

彼のこだわりの強さと作品の素晴らしさ、知っているつもりだった。でも、私たちが思っていた以上に長い時間をかけて、この場を信じて4つ作品を作り上げたという事を知ったときはさすがに涙した。感動の涙であり、それ以上に安堵の涙だった。夫々に一番似合う服を着て、懐かしい色の照明に包まれて歌う4人は今までに見たことない程の自信と誇りと愛にあふれていて、「エモい」と称賛されつつもチクチクと胸を刺していたあの曲をとてもあたたかい曲へと昇華させていた。もう、とっくに次のフェーズに移っていたのだ。

 

沢山歌った。

青春を彩った曲、一時は歌うのも命がけだった曲、とにかく楽しく熱い曲…どれもこれも第一声からぴたっと揃っていて、私らどんだけ好きなのwwまぁ今までめっちゃ歌って鍛えてきたからねwwと不思議な連帯感を覚えた。

 

スキャンダラスな瞬間があったとするならば、それは彼らがサングラスをかけた時。歓喜と動揺と熱狂の渦。彼らが隠し持っていた武器は、私たちの思っていた以上に鋭い。

 

 

ペンライト越しの空、満ちてゆく熱気、打ち上がる花火。

終わらない青春が、そこにはあった。

 

生きろ! 何万回言ったって 何万回聞いたって
負けそうにまたなるけど
いいさ懸命に誓った仲間の絆を
道しるべに

 

あいまいな歌詞を時折 "にゃにゃにゃ" でごまかして歌い、笑う。

 

 

僕らの旅路には見えない紐がある。

負けそうになったらそれを頼りにまた歩ける。

今度はどんなものを見せてくれるのだろう。

どんな話をしてくれるのだろう。

次なる青春を楽しみに、生きていく。