マカロニ。

おたく魂をぐつぐつ煮込んで

世界は愛に満ちている ~ドラマ:盲目のヨシノリ先生からのメッセージ~

24時間テレビドラマスペシャル「盲目のヨシノリ先生〜光を失って心が見えた〜」、とても素晴らしいドラマでした。主演の加藤さんはじめ出演者、スタッフのみなさん、そしてヨシノリ先生、ありがとうございました。 

 

前回に引き続き、自分語りをします。ちょっと暗いよ!

 

 

 

私が小学校4年生の夏休み、母が体調を崩した。

プール監視の最中にめまい吐き気を訴え、なんとか自力で帰宅するも症状は治まらない。病院で調べても原因不明。一週間寝込み、急に視力が落ちた。視力自体は生活に支障はないものの光に極端に弱くなり、長時間の外出はできず日中は部屋の中でもサングラスが外せなくなった。体調もすぐれず常に何かしらの不調を抱えていた。私を産む前まではスイミングクラブのコーチを務め、強く逞しかった母。母は強いことが当たり前だった。だから甘えていても何の問題もないはずだった。そんな、強かったはずの母が急に弱者となった。

 

母には本当に申し訳ないことをした。

当時四歳だった弟はともかく、父は「俺の飯はどうするんだ」と寝ぼけたことを言っていたし、私も最初は家事を手伝いこそしたがそのうち母が不調であることに慣れ、手放しに母に甘え自分のことだけを考えて生活していた。

 

高校生になり、課外授業の帰り。少し寄り道をした帰り道に弟といっしょになり、ふたりで家の鍵を開けたら母は眠っていた。弟は優しい子だからソファで眠る母に毛布をかけようとし異変に気付く。

「姉ちゃん、お母さん息してない」

母は眠っていたように見えた。手もまだあたたかかった。でも心臓マッサージをする私の手にはもう生の感触はなかった。

私が17歳になる年に、母は死んだ。

脳卒中、突然のことだった。生活態度を叱られ不貞腐れ、ろくに会話もせず家を出た日だった。母と最期に交わした言葉も姿もよく覚えていない。寄り道をせず帰れば後遺症は残れど命は助かったかもしれないし、幼い弟にあんな現場を見せなくて済んだかもしれない。あたたかく、でも希望は欠片も持てないあの母の胸の感触は今も生々しく思い出すことができるし、忘れてはいけないものだ。

 

母には本当に申し訳ないことをした。

専業主婦だった母は「私にとって家族がすべて」とよく口にしていた。故にたくさん愛を注いでもらった。私はそれに甘えすぎた。体調がすぐれず体はうまく動かない、視野も暗い、原因がわからないから予防もできない悪化するかもしれない。そんな恐怖もあっただろうに、それを家族のだれに訴えることもなく家族のために生きていた。そんな母の愛に私は甘えすぎた。ヨシノリ先生を奥様の真弓さんが支えたように、私も母を気遣うべきだったのにそれをしなかった。私の甘えが母を殺したのだと思っている。この十字架は誰にどう慰められようが消えるものではないと気付いているし、死ぬまで背負っていくと決めている。それが私の生きる道だ。

 

加藤シゲアキ演じるヨシノリ先生が忍び寄る失明の影に怯える姿が、母に重なった。母は私たちにそんな素振りは見せなかったけど、母の遺した日記には同じような恐怖が綴られていたから。キリキリと罪悪感が痛む。

 

でも何故だろう、ドラマを見終わったら、何だか救われた気がした。書いていて自分でも何を言ってるやら訳が分からないのだけど、少し十字架が軽くなったような気がしている。光を失っても諦めなかったヨシノリ先生の底力に、ヨシノリ先生を支え寄り添う真弓さんや青井先輩やクロード、お父さんに榊さん*1の愛を目の当たりにして、何だろう…視野を広げてもらったような感覚。この罪を背負って生きていく!なーんて勝手にひとりでガチガチに気を張ってるけど、なんだかんだ私は夫や娘をはじめ、多くの人の愛に支えられそれに甘えて生きている。これからも十字架は背負って生きていく、それは変わらない。でも私の背中を押してくれる沢山の愛にも私は出会っている。そんな当たり前のことを改めて気付かせてくれたドラマでした。

「明日新しい一歩を踏み出せるようなドラマ」とシゲは言っていたけど、その通りだと思う。沢山の愛に感謝をしながら、私も誰かの背中を押す愛を持って生きていきたい。このドラマに出会えて、よかった。

 

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*1:そして小山