マカロニ。

おたく魂をぐつぐつ煮込んで

私の青春と原宿とジャニショ

そうだ、ジャニショ行こう。


28歳も残りわずかとなった7月半ば、急に私はそう決意した。

「ジャニショは行かないだろうな〜、雑誌とかで充分だしコアなファンじゃないし」

ずっとそう自分に言い聞かせていた。でも考えが変わった。自分に向き合う決心がついた。「時をかける少女」に溢れる眩しい青春を見て、西岡くんの「やれるときにやりたい事をやらなきゃ」というセリフを聞いて。ずっと見ないふりをしていた私の青春を振り返らざるをえなかった。

振り返ったら行くしかなかった。私は行かねばならなかった。目を背け続けていた原宿という場に。


そう、私にとっては自身をジャニオタと認めジャニショに行くことより、原宿に行くことのほうが数段ハードルが高いのだ。

原宿はここ数年なるべく通らないようにして生きてきた。代々木でライブがある時も、わざわざ坂を登って渋谷から会場入りしたし、田舎から遊びに来た弟が観光に行きたいと言ったときも、弟を一人で放り出して姉は渋谷をプラプラ、「姉ちゃんタスケテ地下鉄で迷子になっちゃったよ〜」という弟からの電話に「駅員さんに聞け、男だろなんとかしろ」と無慈悲に渋谷ツタヤでフラペッティーノゥ飲みながら見捨てたくらいに避けていた。どうしてここまで原宿から逃げていたのか、長い長いアラサーの自分語りを聞いてほしい。


私の青春と、原宿

十年ほど前、私は田舎の高校生だった。

セブンも無ぇ、スタバも無ぇ、電車もそれほど走って無ぇ、文化祭 模擬店無ぇ、自宅⇔学校ぐーるぐる、TSUTAYAには CD無ぇ、あるのは演歌のカセットテープ、息抜き無ぇ、ロマンス無ぇ、試験は2週に一度来る!

…とまぁおら東京さ行くだ的な田舎で、よく言えば伝統のある、一方で柵とOBOG先生方からのプレッシャーに耐えながら勉強に青春を捧げねばならない高校に通っていた。「電子辞書で楽するなんてけしからん!」という先生方の意向から、黒カバン以外に古典/漢和/英和/和英辞書を詰め込んだ登山リュックを背負い、「通学時間を無駄にするな」というお達しから参考書を読みながら通学するというリアル二宮金次郎な高校生活*1。文化祭で模擬店?なにそれ美味しいの?お化け屋敷?そんなの無いよドラマだけの話でしょ?教室は『遺伝子組み換えについて』『哲学概論』とかのクラス発表で埋まるよ?文化祭の目玉は先生たちが出演するシェイクスピア劇と先生たちの演奏するバンドだよ?文化祭終わったらすぐ実力テストだぜ?体育祭は皆体力無いから後半バテちゃって勝ち負けとかどうでもよくなってくるよ?体育祭終わったらもちろんすぐ実力テストがくるぜ?

そんな武者修行のような高校生活のなか「おら絶対東京の大学さ行くだ!」と夢見てたものの、ちょっと面倒な家庭の事情から、私の県外進学の道は高校2年の頭であっさり断たれることとなる。進学するなら、最寄りの大学一択。そこで私はぱったり勉強を辞めてしまった。この学校で勉強しないという事は、学校での存在意義を失うことに等しい。自分の立ち位置を模索した結果、私は皆が避ける副委員長を引き受けることにした*2。みんなが勉強に集中できるように教室の備品揃えたり、ノイローゼで休みがちな子の出席日数を水増しして記録して単位落ちを防いだりとそれなりに役に立ってたのでそれなりに感謝されたしそれなりに楽しかった。

皆みたいにガリ勉しないから家に帰ったらCDばかり聴いてた。ちょっと拗らせたKERA読者だったから原宿に強烈な憧れを抱いてあれこれ想像をしたり、田舎でも手に入る服を探しにチャリで商店街へ出かけたし獄本野ばら作品に傾倒したし毒姫だって読んでたし掘れば沢山、勝手に原宿にあこがれてた思い出はザクザク出てくる。

それなりに楽しかった。でも、完全に私は学校から、勉強から逃げていた。高校生という貴重な青春を逃げで過ごしてしまった。

家庭の事情といっても今思えばそんなに大したことはなくて、成績にものをいわせて隣の県くらいまでは出れた気がするし、もっと勉強に身を入れていれば県外に出れずとも充実感が得られたかもしれない、何より逃げなかったという自信が持てたかもしれない。でも私は努力もせずに外の世界ばかり見ていた。外に出るための努力もせずに、田舎を心の中でdisりながら原宿へ思いを馳せていた。そんなんじゃダメなことは解ってたけど、見ないフリをしていた。

まずここで私の中に、原宿への後ろめたさその①が刻まれることになる。

私とオリベ君と、原宿

オリベ君

私のクラスにはオリベ君(仮名)という学年イチの秀才がいた。
勉強が大好きで、どの教科も学年一位。運動はちょっと苦手だけど素朴で優しくて話も面白くて自然な気遣いもできて、誰からも好かれるオリベ君。雑務が多く敬遠されがちな委員長の役もすんなり引き受けてくれ、それ以外にやることがないからという理由でやっていた私の雑務に対して、毎回だれよりも早く気付き、だれよりも優しく感謝の言葉を投げかけてくれたオリベ君。このオリベ君が委員長だったから、受験でピリピリギスギスしていた他クラスとは比べ物にならないほど常に柔らかな雰囲気をまとうクラスになっていた。私はオリベ君が大好きだった。それは恋とか愛とかの類ではなくて、仏様を拝むような、氏神様を敬うような、そんな感情で、オリベ君が笑えば嬉しかったし、オリベ君が悲しそうな顔をしたら*3私も悲しくなった。

もう一度言う。私はオリベ君が大好きだった。
だからオリベ君の

「修学旅行の自由行動時間に、原宿でクレープを食べて、スタバのフラペッティーノゥを飲んでみたい」

というそれ何て小山慶一郎?な希望は絶対に叶えてあげたかったし、生き仏オリベ君が私と同じく原宿に興味を持っていたなんてこれは何という奇跡であろうかと思わずオリベ君を拝んだ。しかし班の半数以上が桜田門に行きたいとか国立科学博物館に行きたいと反発。そりゃそうだ。2泊3日*4のなか4時間しかない貴重な自由行動、いくらオリベ君の頼みとはいえガリ勉どもの知的好奇心はなかなか許してくれない。私とオリベ君は原宿のすばらしさ、原宿でクレープを食べることがいかにステイタスであるかを皆に説いた。フラペッティーノゥがどんなに素晴らしい飲み物であるかをプレゼンしてもらうために、校内で唯一スタバ経験のある数学のタマデ先生に放課後特別講義「キャラメルフラペッティーノゥについて」も組んで頂いた。こうした努力の結果、そして何よりオリベ君の人徳により、オリベ班の自由行動は「原宿でクレープとフラペッティーノゥ」に決定したのだ。


オリベ君と原宿と私

待ちに待った修学旅行2日目自由行動。
路線図を握りしめ、オリベ班は原宿駅に降り立った。目の前に広がるのは何度も雑誌やテレビで見たあの光景。オシャレな人が行きかう。憧れのその地にいま、私は立っている。
とてつもない高揚感だった。風の感触も、地面の震えも、道行くロリータの木靴の音も、何もかも逃すまいと必死だった。だから、聞こえてしまった。


「見てあの恰好wwどこの田舎の修学旅行生wwウケるwwwww」


想像して欲しい。私の母校の制服は、昔ながらのセーラー服だ。OGの厳しい目があるからスカートは膝丈どころかふくらはぎ半ばまであるし、足元は白の運動靴。鞄はいつもの登山リュック。オシャレを犠牲にして胸元でパチンと留められる肩にはとても優しい設計のアレだ。
一方男子。制服こそは一般的な学ランだが、学 生 帽 をかぶるのがわが校の伝統だ。学生帽って。今時学生帽って。そういや田舎でもうちの高校以外どこもかぶってないわ。

どこからどう見ても、皆そろいもそろってド田舎から来た修学旅行生である。むしろ都会のイケイケギャル*5からすればタイムリープでもしてきたんじゃないかって位の激ダサぶり。

そんな私たちを、生粋の原宿ガールは指をさして笑っていた。そりゃ笑いたくもなる。反論できないする気もない。しかしだ。彼女らの言葉をオリベ君の耳にいれるわけにはいかない。この日を楽しみに待ちわびて、今こんなにもはしゃいでいるオリベ君にこの視線を悟られてはいけない。オリベ君を守らなければ…。必死だった。竹下通りでも、クレープを食べているときも何度も振り返られ笑われた。その気配を察する度に必死にオリベ君の注意を逸らした。他のみんなもなんだかんだはしゃいでいて視線には気づいていない。良かった。良かった…

なんとかエンジェルスハートのクレープを食べるというミッションを終えたオリベ班はフラペッティーノゥを仕留めるためにスターバックスへ向かう。皆キャラメルフラペッティーノゥを飲むというのは田舎を出る時点で決まっていたのでみんなには席確保をお願いし、代表で私がレジに向かう。

「キャラメルフラペッティーノゥのトールを7つください。」
『ぶふっ ふらぺっ…かしこまりましたキャラメルフラペチーノを7つですね』

おかしい。タマデ先生に習った通りに言ったはずなのに笑われた。そしてこの店員さんは「フラペッティーノゥ」ではなく「フラペチーノ」と言ったぞ。タマデ先生…そうか、タマデ先生…くそ…。ここで初めて私は冷や汗をかきながら「フラペチーノ」が正式名称であることを知った。

キャラメルフラペチーノはとても美味しかった。レジで惨めな思いはしたけれど、キャラメルフラペチーノに罪はない。悪いのはタマデ先生の話を鵜呑みにして細かく調べることをしなかった私だ。オリベ君や皆には「フラペッティーノゥって名前じゃなかったwタマデ先生許さんw」と笑って話した。「そうか、あのタマデ先生でも間違うことがあるんだね。レジで恥ずかしかっただろ、悪かったね、ありがとうね。」オリベ君のその言葉に鼻の奥がツンとした。笑って済ますはずだったのに。この一連の流れで原宿への後ろめたさその②が刻まれたけれど、スタバを嫌いにならなかったのは、オリベ君のこの言葉があったからかもしれない。

そんなこんなで私のHPはほぼゼロ、行きたい行きたいと騒いでいたラフォーレ原宿に行く勇気なぞ湧いてくるはずもなく、余った時間を明治神宮参拝へと切り替え、オリベ班は原宿での大冒険を終えることとなった。
ちなみにそのすぐ翌年、田舎にもスタバが出来た。オリベ君が正しい名称を広めてくれたためフラペッティーノゥと恥をかく子はいなかった。良かった。ちくしょう。

自担と私と原宿とジャニショ

高校を卒業し大学生活を経て、面倒な家の事情を何とか振り切って就職で上京。テレビで原宿を見る機会が増えたものの、そもそもテレビ自体そんなに見てなかったから問題はなかった。しかし2015年秋、腕まくりで落ちた沼の主が私に原宿を突きつける。

そう、加藤シゲアキである。

ジャニーズと原宿渋谷は切っても切れない関係だというのは、14,5歳でゆるくジャニオタをやってたから嫌でも知っている。また加藤シゲアキといえば青学卒、青学といったら渋谷だし渋谷の隣は原宿だし。チクリチクリと私の原宿コンプレックスが痛む。
そして更にそこにシゲアキ出演ドラマ:時をかける少女がトドメをさす。そこには私が経験することのなかった青春があった。キラキラ輝く登場人物たちに、特に高校生たちには皆、幸せになってほしかった。
「やれる時にやりたいことをやらなきゃ。」
西岡君の台詞が刺さる。やれる時にやりたい事をやらなければ、機会を逸するだけではない、自信まで失うことになる。私はやれる時にやりたいことをやる努力をしなかった。それを物凄く、後悔している。

だから私は行く 因縁のあの土地へ。

話は変わるが私は加藤シゲアキの「ESCORT」がもの凄く好きだ。彼が撮った「ESCORT」のMVも好きだ。そのMVに出てくる白エス様が大大大大好きだ。白エス様の写真が欲しい。白エス様の写真が欲しい。エス様の写真が欲しい!!しかし白エス様の写真を手に入れるには原宿に行かねばならない。でも原宿は…と高校時代の苦い思い出にグズグズしていたけれど、時かけを見て、覚悟を決めた。やれる時にやりたいことをやらねば。そして私はこの夏29歳を迎える。良い機会だ。28歳のうちに克服してしまおう。こうして、私は決戦の地、原宿へと向かった。


10年ぶりに降りた原宿駅。あの時よりも人が多い。皆まっすぐ前を向いて歩いている。

奇しくもその日はJUMPちゃんたちの新写真発売日、そして夏休みが始まったことで列は広場のほうまで伸びていた。「ジャニーズショップ最後尾はこちらです!!」警備員さんが叫ぶ。列に並ぶ子は誰もそれにたじろがない。堂々と並んでいる。ジャニーズが好きであることに自信を持っている。私もまっすぐ前を見ることにした。

半時間並び、いざジャニーズショップへ。そこは熱気と欲望が渦巻いていた。「買うのは白エス様だけ」なんて決めていたけれど、並んだ写真にそれはすぐに吹き飛んだ。次いつここに来られるかわからない。やれる時にやりたいことをやらなきゃ。やらないなんてないから。そう決意した瞬間頭がスパーク、一心不乱に数字を書き込む。1時間強のレジ待ちも苦じゃなかった。数多の女の欲望を捌く店員さんのレジ打ちに見惚れた。そして受け取った写真とレシートがこちら。
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私大人でよかった!!やっぱ白エス様は2枚買っちゃうよね!!好きなものに課金できるって最高!!!好き!!!大好き!!!!!
あー!最高かよ…!原宿全然怖いとこじゃなかった…いいとこだった…気づかせてくれてありがとうシゲちゃん…




ジャニショのあと、少し街を歩いた。記憶をたどりながらあの時のスタバを探したけど見つけられなかった。

この街の器は大きい。どんな人も受け入れるし、誰も私のことなんて見ていない。10年前のあの時だってきっとそうだった。あんなに私が原宿へコンプレックスを持ってしまったのは、逃げ続ける自分に自信が持てなくて、まっすぐ前を見れなかっただけだからだと今になって思う。オリベ君や他のみんなが原宿を楽しめたのは、皆逃げずに青春を生きていたから。二眼レフのシャッターを切りながら、やっとあの頃の感情を整理することができたような気がした。


私は明日、29歳になる。
20代最後の年、そして三十路を踏んでからも逃げない人生を送っていきたいと強く思う。そしてこの街のように寛容で器の大きな人間に、なってゆきたい。


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*1:重すぎる荷物におしゃれなローファーなんて耐えられないから足元は学校指定の白い運動靴。スニーカーですらない、「運動靴」である

*2:なぜ委員長じゃないかって?委員長は男子しかなれないきまりだったから。田舎フゥ〜!

*3:たいていビーフシチューパンが売り切れの時。そんなときは大抵だれかがオリベ君と半分こしてた。超ハートフル。

*4:いやそもそも高校の修学旅行が東京なんだ?しかも二泊三日なんだ?なんて皆思ってるでしょ?そうだよ田舎だから東京に行くのが大イベントだしテストばっかの学校だから時間なかったんだよ察してくれよ馬鹿野郎。

*5:死語